体育会気質と縦社会の人間関係

大西 好宣

NHKニュースより:編集部

今から50年以上も前に刊行された『タテ社会の人間関係』は、日本人による日本人論の嚆矢であり、21世紀の今に至るも名著の誉れ高い傑作である。その著者である元東大教授・中根千枝氏にお目にかかる機会があった。20年も前のとあるパーティの席上である。学生時代に読んだ『タテ社会の人間関係』にいかに感激したかを言葉に詰まりながら伝える筆者に対し、中根氏はその目に豊かな微笑みを浮かべながら一言こう仰った。ああ、あれね、あれはもう古いのよ。

断じてそんなことはない! 女子レスリング、アメフト、水球、ボクシング、そしてチアリーディングと、このところ大きなニュースになっている我が国スポーツ界の一連のスキャンダルを思い起こせば、多くの人がそう思うであろう。どっこい、タテ社会は今も脈々と生き永らえていると。日本ボクシング連盟の某氏を見よ。彼こそ、そのタテ社会に君臨するトップではないか。

さて、その彼がなぜこれほどまでの絶対的な権力を持つに至ったのかという、今回の問題の核心とも言える重要な指摘をしたのは、早稲田大学の友添秀則氏である(読売新聞2018/8/9朝刊)。本稿では体育会気質というキーワードからこの問題について少し考えてみたい。

ここに面白いデータがある。ある民間企業が実施した、体育会の価値に関するアンケート調査で、「部活(体育会)を通して身についたものは何か」という質問に2017年3月卒業予定(当時)の大学体育会部員283名が回答している。割合の多い順に以下記す。

1、礼儀 78.1%
2、コミュニケーション 77.7%
3、上下関係の理解 77.4%
4、忍耐力 74.9%
5、挨拶 73.9%
6、チームワーク 70.7%
7、行動力 65.7%
8、目標設定力 65.7%
9、体力 62.9%
10、挫折経験 60.1%
11、理不尽なことに対する免疫 59.7%
12、折れない心 59.4%
13、持続性 58.3%
14、リーダーシップ 51.2%
15、計画力 48.1%
16、フォロワーシップ 42.4%
17、分析経験 42.4%
18、ムードメイク 37.5%
(出典 株式会社ディスコ 2016年8月「体育会学生の就職活動調査」)

やはりと思われた方も多いだろう。中には「行動力」「目標設定力」「計画力」などの積極的な価値を持つ項目も散見されるものの、上位にあるのは「挨拶」や「礼儀」「忍耐力」といった、我々が体育会系と聞いて通常イメージする保守的な項目が多いという印象ではないだろうか。2位の「コミュニケーション」にしても、同学年部員同士の比較的フラットなそれをもちろん含んではいるだろうが、前後の項目から類推すれば、大方は上下関係を意識した意思疎通のスキルを指しているものと思えてしまう。

こうして培われた学生時代の強固な上下関係は、就職の際にも実利という形になって現出する。例えば上記の同じ調査では、就活時に「OB・OG訪問をしたか」という質問に対して、64%の体育会部員が「はい」と回答している。同じく「はい」と答えた体育会以外の一般学生(サンプル数1,021名)の割合は26%に過ぎないから、その差はかなり顕著である。

求職側の学生は有力なコネとして先輩を利用し、採用する側のOB・OGとしても仲介によって恩を売ることが出来るばかりか、自分の言うことを聞く素直な後輩を定期的、効率的にリクルートすることが出来て一挙両得である。そしてそうした人間関係は日本全国で年々再生産され、半永久的に持続する。構図としてはつまりそういうことだ。スポーツ界に君臨する独裁的なトップと、ノーを言えないその取り巻き。何ら不思議な現象ではない。むしろ当然の帰結であろう。

けれども残念ながら、極めて日本的なこうした縦社会的傾向は、決してスポーツの世界だけのものではないだろう。政界、官界、財界、芸能界、ジャーナリズム、およそどこの世界にも存在しうる国内的慣習とも言える。実際、筆者自身が所属する学界とてその例外ではない。象牙の塔、或いは研究室という悪名高い閉鎖空間を擁するだけに、保守的な傾向は当然の如く垣間見られる。

今から5年ほど前、定年直前の先輩教員と海外へ出張していた時のこと。ある学会で偶然出会った彼のかつての教え子を私に紹介するのに、この先輩教員は「弟子です」とのたまわった。弟子と名指しされたその彼女、聞けば若いながらも既に研究者として独り立ちし、海外の一流大学に教員として数年勤務した実績の持ち主で、もはや誰が見ても一人前の学者なのである。件(くだん)の先輩教員をそれまで個人的に敬愛していただけに、彼が用いた弟子という古びた言葉に、当時、大層な違和感を覚えたことを思い出す。

それと正反対のエピソードを、ある学者の留学記で読んだことがある。彼が米国の大学の博士課程に留学していた頃、指導教官が友人の教員に自分を「私の同僚(colleague)だ」と紹介してくれ、研究者として一人前に扱われたようでいたく感激したというのである。

筆者自身の米留学経験に照らし合わせても、実にアメリカらしい話だと思う。博士課程の学生でさえ同じ研究者の仲間として接する海外の指導者と、卒業して10年以上も経つのに依然として教え子を弟子扱いし、あくまで自分の影響力を誇示しようとする日本の指導者。どちらが健全な学界かは考えるまでもない。

いや、そうした例は極端で、何より旧世代の悪習に過ぎないと反論する人も多いだろう。筆者とて、こうした悪しき上下関係は早晩消え去るものと思いたい。けれども残念ながら、現状はその逆の様相を呈している。例えば、一般企業では正社員が減り、非正規の社員が増えているという最近の動向は誰もが知るところだろう。実は大学も例外ではない。現在、全国の大学教員の約半数は非常勤で、残る常勤の約4分の1も「特任」「特命」などの任期付き教員であることが、朝日新聞と河合塾の共同調査で明らかになっている(朝日新聞2018/05/20朝刊)。

こうした任期付きの教職員が増えてくれば、次に何が起きるかはおよそ自明であろう。任期なし・終身雇用というパラダイス的既得権益を持つ中年・壮年の現有教職員が、女性や若年層を中心とする新規教職員の採用及び雇用契約の延長、勤務評価に関して絶大な権限を握るのである。後輩は先輩に逆らえないという体育会系上下関係の常識が、キャンパスというより広い空間で維持・再現・固定化されるのだ。年齢や性別、肩書きや身分に関係なく自由に批判が出来ること。それがなくなれば、もはや日本の大学は終わりである。

大西 好宣(おおにしよしのぶ)千葉大学教授
慶大、コロンビア大学大学院、チュラロンコン大学大学院修了、高等教育学博士。NHK、国連、大阪大学等を経て現職。日本ラグビー学会会員。