8月10日サンフランシスコの裁判所は、アグリビジネスの最大手のひとつモンサントが訴えられた裁判で、原告側の主張を全面的に認め、モンサントに対して総額約320億円の賠償金を支払うよう命じた。
訴えていたのは、同州にある学校の管理をしていたドウェイン・ジョンソンさん。校庭の除草と整備のために、モンサントが開発した除草剤ラウンドアップを数年にわたって使用し、それが原因でがんの一種である悪性リンパ腫を発症したと訴えていた。裁判では陪審員は全員一致で、ラウンドアップの主成分である「グリホサート」に発がん性が考えられるにもかかわらず、モンサントはその危険を十分に伝えていなかったとして原告側の訴えを認めたものである。
モンサントは1910年の創業、コカ・コーラに入れるサッカリンの発明で大きくなった化学会社である。水俣病の原因企業であるチッソと同じく、化学肥料や除草剤、爆薬等の製造で経営規模を拡大した。裁判のもとになったラウンドアップは1976年に発明され、世界中で最も売られている除草剤として知られている。
その後、モンサントは1980代から遺伝子組み換え技術(GM)を進め、ラウンドアップ耐性をもつトウモロコシ、大豆、コットン、小麦などの種子を開発。この種子から生育した植物は除草剤をかけても死なないために除草や除虫の手間を大幅にはぶくことができ、モンサントは種子と農薬をペアにすることで売り上げと利益を大幅に拡大した。
今日では、アメリカ、ブラジル、アルゼンチン、カナダの主要穀物輸出国で栽培されるトウモロコシや大豆、コットン、ナタネの大半はモンサントらが製造するGM種子になっており、製造会社は膨大な利益を上げてきた。農業に最新の科学的知識と技術を投入することで膨大な利益を獲得するアグリビジネス・モデルとして知られているものである。
一方、モンサントのビジネスモデルに対しては反発も強く、とくにヨーロッパでは、遺伝子組み換え技術で作られる食品の安全性が確認されていないこと、GM種とペアにすることで除草剤の使用に歯止めがかからなくなること、などを危惧する消費者は多い。そのため、欧州委員会は協議のうえでGM種の使用を原則受け入れないことを決定したが、スペインなどの一部の国では国内法によってその使用が承認されている。
GM種の使用に対する批判がもっとも強い国の一つが、独自の農業政策を推進するフランスである。モンサントに対する評決の出た2日後に、日刊紙リベラシオンは環境保護連帯大臣ニコラ・ユロへのインタビューを中心とした2面にわたる特集記事を掲載したが、そこでユロはモンサントに対する敵意を公然と表明している。この評決は「僥倖」であり、「呪われたモンサントの傲慢さの終わりの始まり」にすぎない。
フランスがめざしているのは「これらの化学薬品をもちいない別のかたちの食であり、別の農業モデル」である。それゆえ、「農業で一番使われているこの化学製品を明日禁止することは空想だとしても、フランスが進めている3年後の禁止は現実的だ」として、近い将来の全面禁止を打ち出しているのである。
もっとも、ユロ大臣も認めているように、フランスでも農業省はモンサント寄りの姿勢を見せているし、評決も第一審のそれだから将来覆される可能性はある。しかも、相手はモンサントという、名だたる弁護士をそろえ、政府に対して強い影響力をもつロビー団体であり、評決に対する批判を強い調子で述べ屈服する気配はない。事態が今後どのように進んでいくか、予断は許されないというべきだろう。
とはいえ、この評決がユロ大臣のいうように「終わりの始まり」になる可能性は十分にある。アメリカでは4000人以上がモンサントを相手とする裁判を準備していると伝えられ、モンサントの買収を6月に完了した独バイエル社の株価は一日で10%以上減少した。効率性と利益追求を優先させるあまりに環境と人命への配慮を欠く企業があったとしたら、チッソがそうであったように、その存続が不可能なことはいうまでもあるまい。
一方、不可解なのはわが国の大新聞である。私がチェックした限りでは、日本経済新聞が記事を載せないのは予想されることとはいえ、市民目線に立つことを掲げる朝日、毎日、読売のどこにもこの裁判の記事は掲載されていない(8月14日現在)。モンサントを吸収したバイエル社やそれと提携している製薬会社への配慮が原因なのか。それとも、この裁判がもつ意味の重大さを認識できていないためか。理由は不明だが、まさか「報道しない自由」を行使していなければいいのだが。
竹沢 尚一郎
国立民族学博物館名誉教授
仏社会科学高等研究院フェロー