人生は短距離競争

明治の知の巨人・森信三先生いわく、『人生は唯一回かぎりの長距離マラソンである。随って途中でくたばったら駄目。そして「死」が決勝点ゆえ、「死」が見えだしたら、そこからイヨイヨひた走りに突っ走らねばならぬ』とのことであります。

また先生は、『我々人間は、各自が人生の決勝点に達するまでは「一日一日を真に充実して生きねばならぬ」のです。つまりマラソン競争だと、常に全力で走り抜くことであり、そのためには、現在自分は決勝点まで一体どれ程手前の処を走っているのかを、常に心の中に忘れないことが大切なのです』とも述べておられます。

人生というものにつき森先生は他にも色々な言い方をされていますが、マラソンということでは次の言葉も残されています――人生は、ただ一回のマラソン競走みたいなものです。勝敗の決は一生にただ一回人生の終わりにあるだけです。しかしマラソン競走と考えている間は、まだ心にゆるみが出ます。人生が、五十メートルの短距離競争だと分かってくると、人間も凄味が加わってくるんですが。

此の言に対しては様々な解釈があろうかと思いますが、要するに『今ここに生きる』(18年3月13日)姿勢を常に持つということでしょう。人間いつ死ぬか分からないわけですから、逆に言えば「いつ死んでもいいんだ」という位の気持ちで生きれば、マラソンなどと悠長なことは言っていられないのです。

人間は、死すべきものとして此の世に生まれてきます。平均寿命も延びた現代、年老いて尚体力も充実している人は数多います。しかし精々人生の賞味期限はと言うと、多分35~40年程でそれ程長くありません。此の僅かな間にどうしてもやり遂げねばならない天命があるわけで、そうでなければ棺桶に入る時やり残したといった気持ちが出てくるのではと思います。

人間みな生まれた時から棺桶に向かって走っており、そして人生は二度ないのです。正に此の一時一時を大切にし、寸暇を惜しんで行かなければなりません。凡そ此の世にあるもの全ては何時の日か必ず朽ち行き儚いがゆえに、時間を大切にするということが非常に大事になるのです。

上記の通り、人間は必ず死すべきものであり、また、いつ死ぬかは分からぬ存在である以上、今ここに生きることを大事にし、日々真剣勝負の中で自分を鍛えて行くしかないでしょう。松尾芭蕉の言うように、「われ生涯いいすてし句々、一句として辞世ならざるはなし」という位の覚悟を持ち、今を兎に角真剣に生きたら、人間も凄味というものが加わってくるのではないでしょうか。

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