こんにちは、都議会議員(北区選出)のおときた駿です。
昨日はオンラインサロンのリアル勉強会。
気鋭の保守論客である古谷経衡さんを迎えて、「保守とはなにか、保守論壇はどこへ向かうのか」について講義・議論を行いました。
古谷さんは舌鋒鋭いテレビのイメージを良い意味で裏切って、大学講義のように「保守」「革新」について基礎から講演して下さり、もともと政治クラスタが多いサロンメンバーにとっても、改めて知識を深める良い機会になったのではないでしょうか。
…名指しで某国会議員や某雑誌をぶった斬ったりと、随所にもちろん「古谷節」も見られましたが(笑)。
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さて、そんな講義や質疑応答の中で「保守論壇」にかかわる様々な論客や雑誌の名前が出てきて、個人的に「めっちゃ懐かしい…!」みたいなノスタルジーに襲われたので、今日はそんな思い出話を書きたいと思います。
私がいわゆる「保守」と言われる思想や論説を読み始めたきっかけは、
…言いづらいのですが、もう過去に言ってしまったので…
小林よしのり氏の「ゴーマニズム宣言」に中3~高1の時期にドハマリしたことです。
特に「戦争論」が出たのが1998年と中学3年生のときで、音喜多少年の脳は撃ち抜かれたわけであります。
中学の図書館にはゴーマニズム宣言や「SAPIO」がなかったため、地元の図書館に足繁く通って過去作品まで含めてすべて読破。
当然にその流れで、作中に次々と出てくる「保守論客」たちの本に手が伸びていくことになります。
当時は「新しい教科書をつくる会」がリアルタイムに動いていた時期で、
西尾幹二氏の「国民の歴史」はもちろんのこと、
「保守」と言えばこの方、西部邁氏。西部邁氏の本は、これ以外にも5、6冊読んだと思います。
「国民の教育」を始め、渡部昇一氏の本もよく読みましたね。そして、
藤岡信勝氏の本もよく覚えています。うちの高校は社会科教師に典型的な左派が多く、歴史の授業もそんな感じだったので、この「自由主義史観」には当時なかなかの衝撃を受けました。
どれもこれも高校生が読むにはけっこう難しい本だったのですが、頑張ってヒーコラいいながら読破して、いっぱしの知識を入れて「保守論客(気分)」を気取っていたような記憶があります。
お小遣いやバイト代で「SAPIO」を買っていた高校生は、わりと珍しいのではないだろうか。あ、だから彼女ができなかったのか?!
大学に入ってからは逆にマルクスや革新系の本も読み漁り、だいぶ色々な視点が是正(?)されてきたものの、まあ自分の政治思想・信条について、この中学・高校時代に形成された部分は極めて大きいのだろうなあと改めて思います。
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学生時代と違ってなかなか「読書」の時間が取れない今から考えると、当時は好きなだけ好きな本を読めたことは幸せだったなーとも。
いま上記の作品を読むと、全然違った感想や考えが出てくると思うのですが、さすがに「国民の~」シリーズを再読する時間が取れるとは思えない。。
いずれはなんとか、自分の過去(の思想)を追体験する時間を取りたいところですね。
そんなことを思い出させてくれた講義を展開して下さった古谷経衡さん、改めましてありがとうございました!
それでは、また明日。
※Voicy第二回も配信中です^^
編集部より:この記事は東京都議会議員、音喜多駿氏(北区選出、かがやけ Tokyo)のブログ2018年8月18日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はおときた駿ブログをご覧ください。