スルガ銀行不正“ブリンカー社員化”の構図:問題の本質は?

郷原 信郎

競馬のレースでは、競走馬に、ブリンカー(遮眼帯)を着用させることがある。

それは、馬の視野を制限するための馬具であり、着用することで、およそ350度の視野を持つ馬の真横や後方の視野を遮ることになる。凡走を繰り返していた馬が、ブリンカーを着用して出走した途端、前に向かって走ることに集中できるからか、馬が変わったように好走をすることがある。

9月7日に公表されたスルガ銀行不正融資についての第三者委員会報告書に描かれた同銀行の社員達の姿に、私は、ブリンカーを装着されて走る競走馬の姿を重ね合わせていた。

「不当行為の銀行全体への蔓延」と「本件の構図」

第三者委員会報告書は、融資先顧客の自己資金確認資料等の改ざん、シェアハウス等の賃料の不当高値設定、フリーローンや定期積金等の抱き合わせ販売などの、不正・不適切行為が、組織的で、長期間に渡るものであったこと、関与した支店等の数、関与した行員の人数、知っていて黙認していた行員の人数、不正等があった融資等の取引件数、不正等の期間等、いずれの点からも、不正・不当行為等が銀行全体に広範囲に蔓延していたことを指摘している。

そして、このような組織的不正を招いた「本件の構図」に関して、以下のように述べている。

経営トップ層は、持株比率や創業家の権力を背景に、全体としてのスルガ銀行は完全に支配していたが、他方、現場の営業部門は強力な営業推進力を有する者、しかも従業員クラスに任せ、その者には厳しく営業の数字を上げることを要求し、人事は数字次第となっていた。 一方で経営層自らは執行の現場に深入りせず、幾重もの情報断絶の溝を構築していた。 このような仕組みは、客観的に評価するならば、業績向上のために、執行の現場は強力に営業推進する者をトップにして自由にやらせるが、それは経営層が自ら手を汚すのではなく、少々営業部門が逸脱あるいはやり過ぎることにも目をつぶる(経営層にはそういう情報は入らない)、という態勢を採ってきたといわれてもしようがない。そこに情報の断絶を作り、営業部門を放任したので、社内でもその範囲で営業本部長は大きな権限を持ったように見える。しかし実際には権限を有しているのは経営トップであり、営業本部長・パーソナル・バンク長も経営層のそのような意図の下で数字を上げることに奔走していたに過ぎない。 他方で社内の従業員達は、このような状況を熟知しているから、営業部門の暴走は経営層の黙示の支持を背景にしたものだと理解するであろうし、そうであれば営業部門の各種の不正行為を見てもそれを上司に報告したり、ましてや内部通報等する気には全くならなかったであろう。経営層の暗黙の了解の下であれば、通報などしてもそれが報われることはあり得ないからである。だからいろいろな問題がしばしば起こっていたのに誰も声を出してアピールしようとはしなかったし、「お客さまの声」も営業に差し障りのないものしか報告しなかったし、内部監査部門も本気で不正を摘発するような深い監査行為は行わなかったということに合点がいく。更にいえば、他部門の従業員達も、実はパーソナル・バンク部門が数字を達成することでそれに依存している関係であり、批判する立場でもなかったのであろう。

経営トップ層の業績向上の目標設定、営業数字を上げることへの過大な要求が、不正・不適切行為を行ってでも営業成績を上げようとする営業部門の暴走を招き、それを認識している周囲の社員達も、経営トップの方針の実現のために行われているものと考えて、見て見ぬふりをしたというのである。

スルガ銀行の社員達は、経営トップの方針どおりに業績を向上させること以外には目が向かなかった。そのために必要なことなのであれば、とにかく「やるしかない」ということであり、それに疑問を持つことにも、問題を指摘することも、無意味なことのように思えていた。そして、そういうことを考える姿勢もなくなっていった。

それは、「前に向かって走ること」の方にばかり集中させられる、まさに「ブリンカーを付けられた競走馬」のような状態だったと言えるのである。

Wikipediaより:編集部

不正・不適切行為は、銀行に「損害」を与えたのか

第三者委員会報告書は、ヒアリング、アンケート、フォレンジック調査等の結果に基づき、不正の実態と構図を精緻に分析し、「会社のためにも、顧客のためにもならない不正」という問題の本質に迫ろうとしているようにも見える。しかし、そこには今回の不正・不適切行為が、どのような社会の要請に反したのか、誰にどのような損害を与えたのか、という「重要な視点」が欠落しているように思える。

報告書では、「第3編 発生した問題」の冒頭に

スルガ銀行は、シェアハウスローンに関して、2018 年 3 月期に、42,049 百万円の貸倒引当金を計上した。また、シェアハウス以外の投資用不動産関連融資についても、関係する不動産業者等の属性や長期サブリースなど、シェアハウスローンと類似のリスクが あることから、16,226 百万円(推計)の貸倒引当金を計上した。

と書かれているだけで、一連の不正・不適切行為が、シェアハウス融資の顧客側にどのような被害・損害を生じさせたかについての言及はない。つまり、今回の問題は、「スルガ銀行に貸倒引当金相当の損失を与えた問題」と捉えられているのである。

「第4 統制環境(企業風土)の問題」では、「会社のためではなかったこと/顧客のためでもなかったこと」と、二つを同列に並べた上、以下のように述べている。

自己資金確認資料等の改ざんを銀行員が主導したり、それを知りながら黙認して融資申請をしたりすることが、行内の諸規程・融資条件等に違反する行為であることは、行員は誰もが知っている。

また銀行から見ても、虚偽の資料により、賃料や物件価格の評価を不当に高くしたり、融資先債務者の自己資金や収入を不当に高く見せることは、銀行の信用リスクを過大にするものであり(それも銀行の認識に反して)、個々の融資において不適切な信用リスクを取らせ、銀行に損害を与える行為である。またスマートライフ等のシェアハウス企画業者・サブリース業者の信用力を適切に評価しないで、またシェアハウスローンのビジネスモデルとしての永続性の欠如を無視して多数のサブリースを伴う融資をすることは、銀行に多大なリスクを負わせることになる。実際、銀行は、2018年3 月期にシェアハウ スローンだけで 420 億円に及ぶ多額の損失を計上することになった。もちろん投資家にとっても、信用力のない事業者によるサブリース契約に依存し、あるいは市場相場より高額な不動産の購入により、サブリース業者の破綻や空室率の上昇、物件の処分等の事態となったときに大きな損失が発生することが予見される。

以上の通り、今回の不正行為等は、最終的には銀行、融資先、シェアハウス事業者等にとって、いずれもリスクが高く、特に銀行にとっては不測の損失を蒙る性質のものであり、しかもそのビジネスモデルからして永続性がないものである。

結局、これらの不正行為等に関わった銀行員は、銀行のためでもなく、顧客や取引先等のためでもなく、自己の刹那的な営業成績のため(逆に成績が上がらない場合に上司 から受ける精神的プレッシャーの回避のため)、これらを行ったものと評価される。

決して、違法性があるかどうか分からなかったとか、会社の利益のためになると思ってやったなどというものではない。

ここで「会社のためにならない」理由とされているのは、要するに「銀行の信用リスクを過大にする」ということである。そして、今回、「シェアハウスローンによる420億円に及ぶ多額の損失」でそれが現実化したというのである。

しかし、このようなスルガ銀行の「損失」だけで、今回の一連の不正・不適切行為は、「会社のためではなかったこと/顧客のためでもなかったこと」などと、二つが同列に扱われるべき問題ということになるのだろうか。そもそも、現状で、銀行の計算上の損益という面で考えた時、「会社のためではなかった」と言えるのか。それらの行為に関わっていたスルガ銀行の社員は、「会社のためにならない」と認識しつつ、そのような行為を行っていたと言えるのだろうか。

個人向け融資による「損害」とは

事業者向けの融資で、融資先の属性や資産・負債、収益等を偽って融資を実行した場合、事業者が返済不能に陥れば融資回収が不能となるので、直接的に銀行に損害が発生することになる。しかし、個人向けの融資の場合、社会的地位のある個人が債務者であれば、自己破産しない限り返済を続けるのが一般的なので、その個人の属性や預金額等を偽っていたとしても、融資の回収にただちに問題が生じるわけでない。そういう意味で、社会的地位のある人間に対する「個人向け融資」というのは、事業者向け融資と比較して、もともと、回収不能のリスクが低い。

スルガ銀行は、そういう個人向け融資の割合を増やすことで、地銀の中では突出して高収益を誇ってきた。2018年3月期の業務粗利益は、約1150億円に上っている。そして、第三者委員会報告書によると、スルガ銀行のシェアハウス関連融資は、2013年頃から本格的に始まり、2016年3月期には融資残高が960億円、2018年3月期には融資残高が2000億円を超えている。

スルガ銀行は、シェアハウス関連融資で、合計で約420億円の貸倒引当金を計上したと言っても、個人向けのローンなどで、債務者が自己破産しない限りすべて回収不能になるわけではない。見込みどおりの家賃収入が入らなくても、債務者自身が返済を続ける限り、銀行側の損失にはならない。また、引当金の金額は、融資残高の4分の1強であり、他の融資より相当程度金利が高いことを考えると、シェアハウス関連融資全体としては、今回の不正・不適切行為の問題によってスルガ銀行に直接発生する回収不能等の損失より、これまで融資によって得てきた収益と融資による今後得られる収益の合計の方が多いのではなかろうか。

確かに、今回の不正発覚による社会的信頼の失墜で、スルガ銀行の株価は年初の5分の1に下落し、個人向け融資が大半を占めるビジネスモデルが継続できなくなると、銀行の存続自体も危ない。しかし、不正を行っていた段階で、このような事態が予測できただろうか。

そのように考えると、不正・不適切行為まで行って、シェアハウス融資を拡大しようとしたスルガ銀行社員達は、「会社のためにならない」と思いつつ、そのような行為に手を染め、あるいは黙認したのではなく、「(顧客の利益は害しても)会社の業績にとってはプラスになる」と考えたからこそ、不正が組織的に広範囲に行われ、また、社内から、それに反発する声や、問題にする声が上がらなかったのではなかろうか。

顧客が被った甚大な損害

一方、サブリース業者スマートデイズが運営する「かぼちゃの馬車」などのシェアハウスに投資していた顧客の損害は甚大だ。1億円を超える負債を抱えている人も多数いるとされており、シェアハウスの賃料収入が入ってこないことになると、全て自分の稼ぎで返済せざるを得なくなる。

このように考えると、今回のスルガ銀行の不正・不適切融資による実質的な被害は、現状では、圧倒的に顧客の側に生じることになる。もっとも、もし、今回の不正・不適切融資に対する社会的批判が高まり、改ざん、偽装などを伴う融資について債権放棄等に応じざるを得なくなった場合は、債務者側の損失が軽減される一方、スルガ銀行の損失が一気に膨らむことになる。

そういう意味では、スルガ銀行のシェアハウス関連融資をめぐる不正・不適切行為については、誰にどのような損失を生じさせたのか、という点が、現時点では、まだ明確になっていないのである。

それを意識しているからか、第三者委員会報告書では、不正・不適切行為が、顧客の投資判断にどのような影響を与えたのか、顧客にどれだけの損害を与えたのか、という点に関する記述はほとんどない。

不正・不適切行為が「顧客の損失」につながったことについて言及すればするほど、顧客側からの債権放棄や損害賠償の要求が高まり、第三者委員会報告書によって銀行の損失が拡大することになる。そのような事情を考慮し、スルガ銀行から委託された第三者委員会としては、不正・不適切行為が「銀行に与えた損失」を記述することにとどめ、銀行だけの問題として自己完結せざるを得なかったのではなかろうか。

経営トップの法的責任追及には限界

第三者委員会報告書は、今回シェアハウス関連融資をめぐる問題について、「かつて例がないほど不適切な行為が蔓延した事案であり、会社に大きな経済的損失をもたらし、各ステークホルダーにも大きな影響を及ぼした」として、問題の重大性を指摘しているが、その一方で、「役員の法的責任を判断する上では、本事案は非常に複雑な事案と言わざるを得ない」とした上、岡野会長については、前記の「本件の構図」の仕組みを構築したことについて法的責任を問うことは困難であるとし、法的責任としての善管注意義務違反は、シェアハウス運営会社のサクトが破綻したことでスルガ銀行がリスクを把握した後の、「2017年7月5日の社内会議以降」に限定している。米山社長にも、同時点以降の善管注意義務違反しか問えないとしている。法的責任が同時点以降に限定されるのであれば、賠償責任が生じるとしても、あまり大きな金額にはなりようがない。経営トップの責任について厳しい指摘を期待していたマスコミにとっては、やや期待外れの内容とも言える。

しかし、第三者委員会報告書で問題にしている「法的責任」が、スルガ銀行に対するものである以上、責任のレベルがその程度にとどまることも、ある意味では当然だと言えよう。そもそも、今回の不正・不適切行為によってスルガ銀行が被る損害は、現時点ではっきりしているのは決して大きな金額ではなく、法的には、経営に深刻な打撃を与えると言い切れるわけではないのである。

問題の本質は「顧客本位の銀行営業」に反したこと

今回の問題では、融資先顧客の自己資金確認資料等の改ざん、シェアハウス等の賃料の不当高値設定などの多数の不正が行われたが、それらは、投資する顧客や運営業者側が、改ざん等の不正で銀行側を騙して融資を受けるためのものではなく、銀行側が、融資判断をするための書類に不正な記載をすることに積極的に関わり、それによって「過剰融資」を行ったというものだ。

銀行の融資先には、企業と個人とがある。企業も大企業であれば破綻による融資の回収不能の恐れは低いが、中小零細企業であれば、破綻のリスクも大きく、財務状況、経営状況を十分に把握した上で融資判断を行う必要がある。それに対して、個人向け融資は、前述したように、社会的地位のある人間であれば、自己破産したり、所在不明になったりすることもあまりないので、回収不能となる可能性は低い。しかし、通常は、事業者ではない個人が、住宅購入以外で大きな資金を必要とすることは多くはなく、融資の金額は限られている。小口の個人向けの融資の場合、かけるコストに見合う金利収入を得ることは一般的には容易ではない。

個人向け融資の場合、回収不能の可能性は低いものの、融資規模が限られるというネックがあるわけだが、逆に、その個人が、多額の投資をし、その資金を融資することができれば、回収不能のリスクを回避しつつ、多くの金利収入を得ることができることになる。

しかし、投資の経験のない個人が多額の投資を行う場合、その事業の収益性・安全性等については、慎重な検討が必要だ。個人向けに多額の融資を行う場合、個人の資産・収入によって銀行側の回収不能のリスクを判断すればよいのではない。その投資が、本当の顧客のためになるものなのか、ということを顧客の立場に立って考えなければならない。銀行が、その義務に反して、個人向けに過剰融資を行うと、銀行ではなく、顧客に甚大な損害を与えることになるからである。

今回のスルガ銀行の問題の本質は、銀行全体に、「顧客本位の銀行営業」という観点が欠落していたことにあると言うべきだ。

金融庁は、金融モニタリングの基本方針として「顧客本位の業務運営」(フィデューシャリー・デューティー)を打ち出している。一般投資家に対して金融商品等による投資運用の勧誘を行い、その受託手数料を収入源とする証券会社等にとって、極めて重要な原則となっている。それは、個人の投資のための大口融資で金利収入を得ようとする銀行にとっても同様にあてはまる。その個人顧客の投資判断について、「顧客本位の銀行営業」を徹底する必要があるのである。

コンシュルジュの視野を遮った「ブリンカー」

スルガ銀行は、2000年に「コンシェルジュ宣言」を公表し、

スルガ銀行が社会から期待されている役割は、人生やビジネスのあらゆるシーンで、「本当にお客さまのお役に立てる存在=コンシェルジュ」になることであると自覚している

とし、その実現のために企業思想・企業理 念・経営理念から構成される「Our Philosophy(私たちの価値観)」を制定した(第三者委員会報告書11頁)。

個人向け市場に特化するビジネスモデルを採用したスルガ銀行の融資は、現在では、個人向けが9割を超えている。そうした中で、上記の経営理念を実現するためには、スルガ銀行の個人向け融資は、どこの銀行よりも、「顧客本位の営業」でなければならなかったはずだ。

ところが、シェアハウス融資に関して、スルガ銀行が行っていたことは、その「融資先」である個人の返済確実性を頼りに、収入・資産についての重要な情報であり、まさに顧客本位で投資への助言を行う際の重要な情報である「自己資金の残高を証明する通帳」について偽造・改ざんまで行い、投資判断の前提となる賃貸不動産のレントロールを水増しして、収益性を実際より良く見せかけることだったのである。

シェアハウス融資でスルガ銀行社員が行っていたことは、「顧客本位の営業」とは真逆の、「顧客を食い物にする銀行営業」そのものであった。

今回の第三者委員会報告書には、スルガ銀行がシェアハウス融資で行っていたことが、上記のような経営理念に反し、「顧客本位の営業」という姿勢が完全に欠落していたとの指摘はない。今回の問題を「銀行経営」の視点から評価するものに過ぎない。「社会の要請に応える」というコンプライアンスの観点からの調査・原因究明は行われていない。

融資の拡大、業績向上に爆走する彼らは、まさにブリンカーを付けられて走る競走馬そのものだった。本来、コンシュルジュたるスルガ銀行の社員達が常に視線を向けなければならない「顧客」に向けての視野は、ブリンカーによって完全に遮られていたのである。

今回のスルガ銀行の問題を通して、350度の視野という「馬の目」を持って、自らの組織に向けられている広範な要請をしっかり受け止めることの重要性を、改めて認識すべきであろう。


編集部より:このブログは「郷原信郎が斬る」2018年9月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は、こちらをご覧ください。