身内に「敬称」を用いるのは事故の原因にもなる!

荘司 雅彦

最近、家人の関係で病院に行く機会が増えた。
病院に行く都度、鼻につくのが「身内である医師に対する敬語を身内である医師や看護師が当たり前のように用いること」だ。

「先生がお目にかかれるとのことです」
「先生がいらっしゃいます」
という表現を、看護師さんたちは当たり前のように使っている。

少なくとも民間企業では、「身内に敬称を用いてはならない」というのが一般的なマナーと私は認識している。

来訪者に、「鈴木課長はいらっしゃいますか?」と訊ねられれば、「ただいま鈴木は席を外しております」と言うべきであり、「ただいま鈴木“課長”は席を外しております」などとは決して言ってはならない。

小さい子供の時分は、他人に対して自分の母親を「お母さん」や「ママ」と呼んでいても、大人に成長すれば「母」と呼ぶのが一般的なマナーだ。

外部者に対して身内を敬称で呼ぶのは、外部者に対して「あなたも私の身内に対して敬意を払いなさい」と要求するようなもので、大変失礼な行為だ。

病院等の慣例として済むのであれば、「そんなものだ」と受け流しておけばいい。
ところが、「影響力の武器」(ロバート・チェルディーニ著)には、とても恐ろしい結果を招く恐れが示唆されている。

病院の看護師に、電話で「○○医師だが、患者に××という薬を投与してほしい」と連絡をするという実験をした。
そもそも、電話で処方すること自体ありえないし、指定された薬は致死量に達するものだったそうだ(詳細は忘れたが…)。
そういうことを十分知悉している看護師たちの全員が、まさに致死量の薬物を投与しようと準備を始めたところで、実験は終わった。

同書によると「医師」という権威を持つ肩書きが、看護師たちの正常な判断力を失わせてしまったとのことだ。
私たちは日常生活で情報の渦に巻き込まれ、様々な選択の機会にさらされて心身が疲れている。
自動的に行動を起こすことができれば、心労の原因を減らすことができる。
毎日同じ時間に同じ通勤経路を用いる人が多いのも、これと同じだ。

それと同じで、権威に従っておけば大丈夫だと自動的に反応し、自分で考える面倒を避けたいと無意識的に考えてしまう。

とりわけ多忙な医療施設では、無駄な心労は抱え込みたくない。

内部内に限っての敬称の使用は、指揮命令系統を徹底する意味で組織には必要かもしれない。
しかし、外部への敬称の使用は、外部への失礼にとどまらず、必要以上に「先生」という医師の権威を高めて(思考停止による)盲従の原因となってしまう危険性をはらんでいる。

内外できちんと使い分けするくらいがちょうどいいと、私は考えている。

以前、政治家秘書の方々と話をする機会があった。
その際、秘書の方々は、政治家のことを「先生」と呼ばずに「代議士」と呼んでいた。
時として悪役として風刺されがちな政治家の世界の方が、人命を預かる医師の「先生方」の世界より社会常識に即しているのかもしれない。
さて、弁護士はどうだろう?

外部の人に対して「先生」と呼ぶような所は、個人的にはどうかと思う。

敬称ならぬ職名である「弁護士」と呼ぶのが適当だろう。

受験手帳
荘司雅彦
PHP研究所
2011-12-22

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年9月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。