10月12日にホテル・オークラで開かれた第17回小林秀雄賞・新潮ドキュメント賞(新潮文芸振興会主催)の贈呈式に行ってきた。アゴラの新田編集長のお顔も。『新潮45』休刊問題で新潮社の佐藤隆信社長がはじめて公的な場で語られるというので、マスコミも多数やって来て盛況だった。
佐藤社長は「『新潮45』は新潮ドキュメント賞の発表誌でもあったが休刊となった。執筆者の方には原稿料をお支払いするチャンスが減ってしまい、申し訳なく思う」「新潮社はこれからもタブーなくしっかりとした言論活動をしていく」と述べられた。しかし、タブーの地雷原にふれて『新潮45』を休刊にしておいての挨拶としてはなにかしっかりこないのは仕方ない。
「会場には『新潮45』でお世話になった方々が大勢いらっしゃっていると思いますが、みなさんに原稿料をお支払いするチャンスがまた減ってしまったということで、大変申し訳なく思っています」というのは、納得。私も悲しい。
もっとも私にとっては、原稿料以上に、たとえば、皇室問題での左からも右からも好まれないような記事をほかに書かせてくれそうなところを見つけがたくなる方が心配ではある。
そのあと、受賞者が挨拶されたあと、選考委員を代表して、櫻井よしこさんが、緊張感が漂う中でこんなご挨拶。
「控室で櫻井さん、あんまりアナーキーにならないでと言われた。自分でもその恐れがあると思い、紙に書いてきた」
「原稿なしでしゃべるのが本当は好きですが、今日だけは少しばかり自分を落ち着かせながら、問題提起をします」
「私は新潮社にご恩がある。経験が浅かった時に連載のチャンスを与えられ、感謝している」
「新潮社は私にとって、自由な言論と著者を守るという意味において、本当に素晴らしい出版社だ。言論とは戦いである、表現とは戦いであるとわきまえて、戦ってきた出版社だと思う」「世間の良識とか正義とか、定まった箱の中におさまらなくても、自分が考える、表現すべきことがあると信じて敢然と戦ってきたわけで、そんじょそこらの出版社とは違います。そのようなことをすれば、当然摩擦も起きるし、反発も起きる」
「しかし、世間の反発も、社内の反発も、作家の反発も、言論機関としての強固な立場をつくるのに新潮社はきちんと活用してきた」「出版社としての気骨をきちんと示すことで、部数も増えた」
「新潮45の10月号は素晴らしい出来だった。自らゲイであることを公表している人も含めて幅広い人たちがいろんなことを書いた」
「私は10月号を読んで、新潮45は議論の場をつくった。ここから本格的な議論が始まっていくんだなと期待していた」
「休刊という結論が出たので、私は意外だと受け止め、本当に乙女心ですけれど、残念だなと思った」
「結果、おそらくタブーが一つできると思う。LGBTとかこういったことについて腫れ物のようにしなければならないような言論空間ができてしまったら残念。そうならないようにこれから頑張らなきゃいけない」
「言論人としていえるのは、言論に対しては言論で返してほしい。言論で返すことによって、相手も言論で返す。それを繰り返すことによって深まっていく。言論人、言論機関というのは、この深める作業をどれだけ飽きずにやるかに価値を見いだすべきだろうと思う」
「私の大好きな新潮社には、ヘイトと決めつける不条理な勢力に負けないで、言論には言論でやってほしかった」
といった内容だった。
満場、水を打ったように静かで、少しばつの悪い空気が流れたのは言うまでもない。私は、新潮社が圧力に負けたことを責めるより、これまで、言論の自由の保護者として頑張ってきたことを評価することを優先したいから、櫻井さんのようにはいわないが、言論人で有りながら言論の自由をギロチンにかけることを促す野次馬の役まわりを演じた自称言論人は心から軽蔑したい。
ところで、やはり選考委員でジャーナリストの池上彰氏も来ていた。私が入っていったところ一瞬、緊張が走ったが、ニアミスはないまま池上氏の方が先に会場をあとにした(笑)。
朝日新聞を見ると、池上氏は
「多様な言論という割には偏ってしまったのかなと思う」
「(休刊は)せめてもう1号、反対も含めてまさに多様な言論の場所を提供してからであるべきだった」
と語ったそうだが、そうなら、小学生の可愛い子役に低劣な安倍批判を代言させて「子どもは鋭い」などといって悦に入っているのは、多様な言論か、偏ってないか胸に手を当てて考えて欲しいものだ。
そう、紹介するのを忘れるところだったが、小林秀雄賞は南直哉氏の「超越と実存 『無常』をめぐる仏教史」(新潮社)、新潮ドキュメント賞は古川勝久氏の「北朝鮮 核の資金源 『国連捜査』秘録」(同)でした。
*佐藤社長や櫻井氏の発言については、私の記憶と、産経新聞、朝日新聞等の記事とで再現した。