「神の国」を巡る朝日新聞の“救いがたい”誤解(特別寄稿)

潮 匡人

去る10月14日付「朝日新聞」朝刊の一面を見て驚いた。

「神の国」復興 トランプ氏に託す――そう大書された見出しが目に飛び込んできたからである。記事は「支持する理由 福音派は」の中見出しに続き「米南部テキサス州ラボック郊外。9月上旬、この州に多いキリスト教福音派の教会を訪れると、日曜日の礼拝が行われていた」と続く。礼拝を上から目線で批判的に報じながら、こう書いた。

トランプ氏自身は敬虔ではない。不倫疑惑など福音派の価値観と相いれない側面も目立つ。しかし、信者は「完璧な人間はいない」と気にせず、米国を「神の国」に復興させることを期待する。

見出しと同じく、米国を「神の国」と書き、「神の国」に「復興」させる云々とも書いた。記事は2面へと続き、「こじあけられた 米国の裏側」の見出しで以下の中見出しが並ぶ。

「Q」信じた末、「影の政府から主権戻せる」

白人至上主義者が行進「表現の自由だ」

リベラル嫌悪の本音、表出

記事は「宗教右派」と呼ぶ「福音派」への偏見を隠さず、⦅トランプ氏が開けた「パンドラの箱」は、闇が深い⦆と本文を締めた。朝日によると「トランプ氏に希望を見いだした人たちのルポ続編を、国際面に近く掲載」するという。自分たちの致命的な誤解に気づいた様子はない。

私は最近、SNSへの意見表明は控えてきた。理由は先日配信された有料メルマガ「週刊正論」(産経新聞社)に詳しく書いたので繰り返さない。ただ、以上の朝日記事はあまりに酷いと感じ、久しぶりに短く、こう投稿した。

今朝の朝日新聞一面。復興すべきは「神のもとにある国」であって「神の国」ではない

再び大炎上かと思いきや、投稿から三日経ってもネット上の反応は二桁どまり。どうやら肩すかしをくらったらしい。

キリスト教国アメリカにおいて「神の国」はきわめて重要な言葉である。イエス(キリスト)はガリラヤ伝道開始に当たり、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた(マルコによる福音書・新共同訳)。それをマタイによる福音書は「悔い改めよ。天の国は近づいた」(新共同訳、口語訳では「天国」)と記した。

マタイは「神」という言葉を畏敬の念から避けつつ「天」と置き換えているが、実質は同じである(『マルコによる福音書 マタイによる福音書』岩波書店)。つまり「天の国」(天国)は「神の国」と実質同じ。上記岩波本は「神の王国」と訳す。なお原語「バシレイア」は、王を意味する「バシレウス」の派生語であり、岩波訳が原義に近い。

イエスは「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」と説いた(マタイによる福音書)。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように(以下略)』」(ルカ福音書)と教えた。だから、世界中のキリスト教徒が毎週日曜日に「主の祈り」を捧げる。「御国」のくだりは英語で「your kingdom come」。つまり「あなたの王国が来ますように」(岩波訳)と祈る。

「神の国」とは、その到来を待ち望むべきものであって、「復興」させるような類のものではない。記事は根本的な誤解に基づく。しかも「御国を来たらせたまへ」と祈る信者への不当な偏見に満ちている。

朝日は「神の国」ではなく「神のもとにある国」と書くべきだった。両者の違いは決定的に大きい。たとえば、米国民なら誰もが唱えた「忠誠の誓い」にこうある。

「私はアメリカ合衆国の国旗と、その国旗が象徴する共和国、神の下に一つとなって分かたれず、全ての人に自由と正義が約束された国に忠誠を誓います」(I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.)

この宣誓は1829年、コロンブスの新大陸発見400年記念の一環として作成され、広く国民に受け入れられ、学校生活の慣習となった。1923年に「我が旗」が「アメリカ合衆国旗」に変更され、1942年に議会で宣誓が公認され、アイゼンハワー大統領時代の1954年に「神の下に」と付加する連邦法が制定された。

有名なケネディ大統領のゲティスバーグ演説(1863年)は「人民の人民による人民のための政治」で知られるが、演説の最後をこう締めた。

「名誉ある戦死者たちが、最後の全力を尽くして身命をささげた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、われわれが一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、われわれがここで固く決意することである」

米大使館サイトが「この国に神の下で」と訳し、岩波文庫の『リンカーン演説集』が「この国家をして、神のもとに」と訳した部分は、原語で「this nation, under God」。つまり「神のもとにある この国」である。

トランプ政権が「復興」すべきは、かつて民主党のケネディ政権も掲げた「神のもとにある国」である。そこに、共和党VS民主党、といった対立は本来ない。保守かリベラルかを問わず、米国民が忠誠を誓うのは「神の下に一つとなって分かたれず、全ての人に自由と正義が約束された国」(one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all)である。

朝日は以上がわかっていない。大半の読者やネット民も分かっていないのではないか。蛇足ながら、私は「新潮45」最終号で、NHK以下主要メディアを「現代のパリサイ人」と批判した。(今風に言えば嫌味なインテリの)パリサイ人が「神の国はいつ来るのか」と尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカによる福音書)。

「あなたがたの間に」の部分は「解釈が困難」とされているが、前出岩波本は「神の王国はあなたたちの[現実の]只中にある」と訳す。だとしても、きっと朝日の中にはあるまい。イエスはこうも説いた――「重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」(マタイによる福音書)。

まさに救いがたい新聞である。