中国との付き合い方に悩むスイス

アルプスの小国スイスも中国の外交干渉や企業買収に恐れを感じ出している。スイス・インフォから配信された「外交干渉、相次ぐ買収、中国との付き合い方を模索するスイス」という見出しがついたカトリン・アマン記者(Kathrin Ammann)の記事(10月5日)を読んで、驚いた。「スイスよ、お前も中国に悩まされているのか!」といった印象を受ける。少し紹介が遅れたが、記事の概要を報告する。

▲中国観光客が殺到するスイスの観光地ルツェルン(スイス・インフォから)

▲中国観光客が殺到するスイスの観光地ルツェルン(スイス・インフォから)

スイスと中国は1991年以降、人権問題に関する会合を開いているが、その内容が公表されたことがない。連邦外務省のプレスリリーフによれば、「国内外の人権問題についてオープンかつ互いに批判的な議論が行われた」と記載されているだけで、具体的な問題には言及されていない。

スイスと中国が2013年に締結した自由貿易協定では「人権に関する規定」が盛り込まれていないため、非政府機関(NGO)から批判が上がって久しい。例えば、強制労働の下で製造された商品が、特恵関税措置の適用を受けてスイスの市場に出回る可能性は拭い切れないからだ。

特にチベット問題はタブーだ。同問題にスイス政府や議員が言及すれば、中国側から激しい抗議が出てくることをスイス側は何度も経験している。中国はダライ・ラマ14世の公式歓迎を容認しておらず、公式歓迎が行われる場合には「遡及的に様々な措置を講ずる」と警告している。そのやり方はやくざの脅迫と同じだ。

スイス連邦政府は2005年以降、ダライ・ラマ14世を公式歓迎しておらず、チベット人コミュニティーがこの点を繰り返し批判している。連邦政府は中国と対立したくないという思いが強い点と、ダライ・ラマ14世の頻繁な訪問を不必要に政治問題化したくないからといわれる。問題は、スイス政府が基本政策を中国共産党政権に対して一歩でも譲ればもはや取り返しがつかなくなる典型的な例だろう。

スイス被抑圧民族協会と複数のチベット人団体は最近、スイス連邦政府と連邦議会に対し、スイス在住チベット人の権利保護を強化するよう請願書を提出したという。スイスに住む亡命チベットの人権保護が問題となってきているのだ。

経済分野でも中国の影響はますます大きくなっている。80社以上のスイス企業が既に中国に買収され、買収費用に460億フラン(約5兆1900億円)が費やされた。バーゼルの農薬・種子大手シンジェンタが16年、中国国有化学大手の中国化工集団(ケムチャイナ)に約440憶フランで買収された時はメディアでも注目された。

連邦情報機関は2016年版現状報告書で「中国はスイス企業を買収し、企業が持つノウハウを吸収し、スイスのブランドをその名声と共に獲得しようとしている」と指摘している。中国は自国の銀行の活動拠点として中立国のスイスを利用している。
(以上、スイス・インフォの記事の概要)

スイス中央部の観光地ルツェルンの白鳥広場は毎日、観光客でにぎわう。人口8万1000人の都市に年間約940万人の旅行者が来るが、中国人旅行者が圧倒的に多い。中国人旅行者の殺到に現地住民はただ困惑するだけだが、中国政府、企業の攻勢はスイスの国益、外交に取り返しのつかない影響を与えかねない。大国・中国は小国スイスに、人、企業、大量の物資を送る。それを小国スイスは必死に受け入れ、咀嚼しようと腐心している。このアンバランスの攻防戦の勝利者がどちらに落ち着くかは一目瞭然だろう。

朝鮮戦争(1950~53年)で米軍を中心とした国連軍が北朝鮮軍を追い詰めた時、中国の人民軍が参戦。国連軍が激しく砲撃しても中国人民軍からは次から次へと兵士が前に進んでくる。人民軍の人海戦術を目撃した国連軍は恐ろしくなった、というのをどこかで読んだことがある。同じように、スイス国民は、余りにも多い中国旅行者の数に恐れすら覚えているのではないか。

ジグマール・ガブリエル独外相は2月17日、独南部バイエルン州のミュンヘンで開催された安全保障会議(MSC)で中国の習近平国家主席が推進する「一帯一路」(One Belt, One Road)構想に言及し、「新シルクロードはマルコポーロの感傷的な思いではなく、中国の国益に奉仕する包括的なシステム開発に寄与するものだ。もはや、単なる経済的エリアの問題ではない。欧米の価値体系、社会モデルと対抗する包括的システムを構築してきている。そのシステムは自由、民主主義、人権を土台とはしていない」と断言している。

中国共産党政権と直接民主制のスイスでは国体が明らかに違う。同じように、人口850万人に過ぎないアルプスの小国スイスと約14億人の人口を有する大国・中国とでは全ての面で違いが大き過ぎる。スイス国民が中国との付き合い方に悩むのはある意味で不可避なことと言わざるを得ない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年10月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。