石破 茂 です。
前回の本欄で江藤淳氏の「1946年憲法 その拘束」をご紹介致しましたが、読んでくださった方がおられてとても嬉しく思いました。文春文庫版は容易に入手できますので、皆様是非お読みください。
一般論として、ある意見に反対の場合でも、見解を述べる際にはその拠って立つ論理を明らかにするべきだと思いますし、そうでなければ議論にはなりません。答えに至るまでの論理をほとんど明らかにしないまま、結論のみを述べて賛成か反対かを迫る手法には、恐ろしさと忌避感を覚えます。先人たちが営々と築いてきたプロセス重視の民主主義は、意外と脆く崩れる危うさを持っているようにも感じます。
「憲法第9条第1項・第2項を残したまま、自衛隊の存在を第3項として書き込む」案について、論理的な正当性や安全保障政策における妥当性を述べた論考を私は寡聞にして知りません。恐らく論理的な正しさはなく、安全保障政策としても(「何も変わらない」と言われているわけですから)特段の妥当性はないのではないでしょうか。そうであるにもかかわらず、「どうせ国民にはわかりはしない」とばかりに民主主義的なプロセスを省略し、論理的整合性を無視して「政治は結果こそすべてだ」と主張するのだとすれば、その危険性をもっと論じなくてはならないと思っております。
安倍総理は水曜日の所信表明で「国の理想を語るものは憲法」であり「憲法審査会において、政党が具体的な改正案を示すことで、国民の理解を深めていく努力を重ねていく中からできるだけ幅広い合意が得られると確信する」と述べられました。
現行憲法の前文に語られている「理想」は、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というような抽象的でユートピア的なものですが、このあまりに非現実的な「理想」からどのように脱却し、どのような新たな「理想」を掲げるのか、が問われることになりましょう。
「政党が具体的な案を示す」ということですから、当然自民党が率先して示すべきものだと思います。
その際には、自民党で党議決定した平成24年憲法改正草案を覆す案、すなわち第9条第1項と第2項を残したままで、自衛隊の存在を第3項に明記する案について、出来る限り総裁ご自身がその意図をご説明いただくべきものですし、総裁選中における私との討論の際にも安倍総裁はそのように仰いました。
何らかの理由で総裁ご自身がこれをなさることができない場合には、誰か総裁の意図を正確に体現した人が責任をもって行わなくてはなりません。内閣法制局も、衆議院や参議院の法制局も答える立場にはありません。普通の法案ですら踏む当たり前のプロセスを、最上位法である憲法で省略していいはずがないからです。
政策的な立場は全く違いますが、立憲民主党の山尾志桜里衆院議員の対談集「立憲的改憲」(ちくま新書)は極めて示唆に富むものでした。これは法律家でもある山尾議員と、阪田雅裕・元内閣法制局長官、伊勢崎賢治・東京外語大教授、井上達夫・東大教授、駒村圭吾・慶大教授など、比較的新しい世代で、かつ教条主義的ではない専門家たちとの対談集なのですが、相当程度、頭の整理になり、展開されている論理も精緻なものだと感じました。
このような議論が野党内で活発に行われ、それが国会で論じられるようになればよいのですが、立憲民主党がかつての社会党的体質を引き継ぐようであれば難しいのかもしれません。そのような政党には広範な国民的支持も集まらず、政治を変える力も決して持ち得ません。
消費税率引き上げ、外国人人材受け入れなど、今国会で議論されるべき課題は多くあります。どの問題もその根底にあるのは日本の急激な人口減少と高齢化であり、弥縫策的な対応の積み重ねには限界があります。
消費税率の引き上げと社会保障の改革はあくまで一体のものでなければならないのですが、これらの課題についてはいずれまた論じたいと思います。
週末は先週に引き続き、自民党鳥取県連会長として党の会合を主催する他、いくつかのイベントに参加する予定です。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。
編集部より:この記事は、衆議院議員の石破茂氏(鳥取1区、自由民主党)のオフィシャルブログ 2018年10月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は『石破茂オフィシャルブログ』をご覧ください。