仙谷由人さんが亡くなられた。彼は、僕がとても信頼している政治家だった。そしてなにより、ひとりの人間として彼を尊敬していた。
仙谷さんとは、10月4日に昼食をご一緒したばかりだった。3カ月に1度くらい、僕たちはさまざまなことを語り合ってきた。
仙谷さんとの思い出は、数多くある。2006年、小沢一郎さんが民主党の代表になった。そのとき、電話がかかってきた。小沢さんからだ。
小沢さんは、「仙谷さんに幹事長になってほしい」と言った。僕は思わず、「ウソでしょう!」と叫んでいた。
なぜ、こんなにも僕は驚いたのか。実は、小沢さんの民主党入りに公然と反対したのは仙谷さん、そして枝野幸男さんだったからだ。その仙谷さんを幹事長にしたいというのだから、驚くに決まっている。
小沢さんは、仙谷さんと僕が親しいのを知っていた。だから僕に、「仙谷さんに幹事長を引き受けてくれるよう話してほしい」と言ってきたわけだ。
僕は、この小沢さんの決断を、非常におもしろいと思った。そんな戦略を持っているのが、小沢一郎という政治家なのだ。だから、僕は仙谷さんに会って、そのとおりに伝えた。「ウソだろう」仙谷さんも思わず叫んだ。その後、仙谷さんは何も言わず考え込んでしまった。
30分近く経った頃だろうか。仙谷さんが、「枝野さんに聞いてみてほしい」と言った。小沢さんが民主党に入ることを、ともに反対したのが枝野さんだ。その枝野さんが賛成ならば引き受けると言う。
僕は言われたとおりに、枝野さんに電話で伝えた。枝野さんもまた仰天して、「そんなことあるわけない」と言った。僕は「あるんだ」と答えた。枝野さんもまた、すぐには結論を出せなかった。「この場では答えられない、一晩考えさせてほしい」と言った。
翌日、枝野さんから電話がかかってきて、「仙谷さんが引き受けたいというなら仕方ないが、僕としてはやはり反対だ」と答えたのだ。僕は、枝野さんの話をそのまま仙谷さんに伝えた。結局、仙谷さんは、「小沢さんに、『幹事長の話はなかったことにしてほしい』と伝えてくれ」と僕に言った。こうして幹事長には、鳩山由紀夫さんが就くことになったのである。
福島の原発事故の際には、誰もが嫌がる事故処理を仙谷さんは引き受け、たいへん苦労された。最近は、ミャンマーやベトナムの国作りの力になりたいと、ひんぱんに両国を訪れていた。
それでも彼は、ミャンマーの国づくりを、応援したいと言っていた。ベトナムにもまた行きたい、とも語っていた。
仙谷さんは、ほんとうに一本筋の通った、気骨ある政治家であった。享年72。僕よりひと回りも年下だ。あまりに早すぎる。残念で言葉もない。
編集部より:このブログは「田原総一朗 公式ブログ」2018年10月26日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた田原氏、田原事務所に心より感謝いたします。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「田原総一朗 公式ブログ」をご覧ください。