「一片の純なもの」樹木希林さんの言葉は本からの学びにも通じる

(※ メルマガ「岩田温の『政治哲学講義』」からの一部転載です)

一片の純なもの

Wikipediaより:編集部

女優の樹木希林さんが亡くなった。私は殆どテレビを観ることがないので、どれほど有名な女優で、どれほど人気を博していたのかわからない。

だが、そうした事情に疎い私でもその名を知っているということは、やはり有名な大女優だったのだろう。私が樹木希林と聞いて思い出すのは、幼少期のお正月に流れていた某カメラのコマーシャルだ。これは、彼女の存在がなければ成り立たないコマーシャルであったといって過言ではないだろう。

だが、何よりも印象的だったのが、高校時代だろうか、偶然眺めた番組だった。

詳細は覚えていないのだが、樹木希林さんがインドを訪問するという内容だったと思うのだが、当時、遠藤周作の『深い河』を読んでいたこともあって、テレビに映し出されたインドの風景、そして、達観したような表情で人生について語る樹木希林さんの言葉が興味深かった。

芸能事情には全く興味のない私は、樹木希林さんの逝去の後に知ったのだが、彼女は結婚した一年半後に夫と別居状態に陥り、娘と二人で生活を続けたという。別居はしたが、離婚はしなかった。夫との離婚を頑なに拒み続けた母の決意を娘が不思議に感じ、何故、別居状態を続けるのかを尋ねると、樹木希林は「彼には一片の純なものがある」と応えたという。

樹木希林という女優が夫をどれほど愛し続けていたのかに興味はないのだが、この「一片の純なものがある」という言葉が妙に印象的だった。自分自身の好き嫌いを振り返り、この「一片の純なものがあるか」、否かが重要だったのだと初めて気づいた。

人の好き嫌いというのは色々あるが、私の場合の人というのは、私が読む本の著者であることが多い。

無論、実際に友人として付き合う際にも、政治的主張の近さよりも、人間として魅力的な人物であるか、否かを重要視している。政治的に近い立場にいる不誠実な人間より、政治的な立場は異なっていても、誠実である人間の方が友人として好ましい。

…(略)…

あまり意識はしていなかったのだが、本を読む際にも、同じような基準で本を選んでいる。たとえ政治的な立場は異なれども、「一片の純なものがある」著者の作品には、学ぶべき点があるのだ。

『君たちはどう生きるか』、吉野源三郎という男

ベストセラーとなった『君たちはどう生きるか』を丁寧に読み返してみたとき、私はこの作品に「一片の純なもの」を感じた。

メルマガ「岩田温の『政治哲学講義』より

岩田 温
扶桑社
2018-09-21

編集部より:この記事は政治学者・岩田温氏のブログ「岩田温の備忘録」2018年11月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は岩田温の備忘録をご覧ください。