クリスマス・シーズンの訪れを告げるクリスマス市場が欧州各地でオープンされるが、欧州最大のクリスマス市場と呼ばれるウィーン市庁舎前広場市場でも今月17日、ルドヴィック新市長を迎えオープンされる。それに先立ち、今月6日には同広場にクリスマス・ツリーが運び込まれ、2台のクレーン車に支えられ、立てられたばかりだ。
ここまでは毎年みられるクリスマス前の風景だが、今年はちょっと違っていた。ウィーン市庁舎前広場に立ったクリスマス・ツリーを見た市民から「あれは何だ」、「枝も所どころ落ちている老木だ」といったクリスマス・ツリーへの批判の声が飛び出しているのだ。
今年のクリスマス・ツリーはケルンテン州から運び込まれた松の樹で、高さ28メートル、樹齢150年だ。日刊紙エステライヒに掲載されていたクリスマス・ツリーを見ると、確かに松の枝はふさふさしている、というより、所々枝が落ちている。頭毛が落ちだした初老の男の頭を彷彿させる、といえば当たっているかもしれない。「ケルンテン州から車で運ばれる途中、枝が落ち、葉っぱがなくなったのだろう」と同情する声もあるが、1年で最大のイベント、クリスマス・シーズンを祝うのには相応しくない、というのがウィーンッ子の大方の反応のようだ。ちなみに、エステライヒ紙が実施した調査では、市民の88%が今年のツリーは「Flop」(ハズレ)という。
と、ここまで書いて思い出した。クリスマス・ツリーへの批判はこれが初めてではないのだ。オーストリアはローマ・カトリック教国だが、その本場イタリアのローマでも昨年、同じような出来事があった。
ローマのヴェネツィア広場に昨年、イタリア共和国トレンティーノ=アルト・アディジェ州トレント自治県の北東部に位置する谷、ヴァル・ディ・フィエンメ谷から採木された松が運び込まれたが、樹木の専門家がすぐにその松の木が既に枯れているのに気が付いたのだ。ローマまでの運送中に松の木が死んでしまったというのだ。「枯れ木のクリスマス・ツリーを飾ればローマの恥だ」といった声が当然出てきてブルジニア・ラッジ市長は批判されたわけだ。
クリスマスはキリスト教の2000年前の救世主イエス誕生を祝うものだが、クリスマス市場が毎年開かれるようになったのは決して大昔ではない。ましてや、クリスマス・ツリーを飾るといった風習も近年に入ってからだ。プレゼント交換となれば、最近の話だ。クリスマス・ツリーがなくてもいいわけだが、そこはイベントだ。きれいに飾ったクリスマス・ツリーの下にプレゼントを準備してクリスマスの日を迎えたい、というのがキリスト教社会に生きる欧州の平均的家庭の願いだ。
クリスマス・ツリーの外貌には「ああだ、こうだ」と文句を言う反面、クリスマス本来のイエスの誕生とかその生涯への関心は年々薄れてきている。「教会は?」となれば状況はもっと深刻だ。聖職者の未成年者へ性的虐待事件の多発で教会への信頼は失われ、信者の教会離れは増えている。幼児洗礼の数でようやく信者数を維持するだけで、日曜日ミサに参加する信者は老人層に限られてきた、というのが欧州キリスト教会の現実だろう。
「だからこそ」というのかもしれない。クリスマス・シーズンぐらい華やかに祝いたい、というのが欧州人の偽りのない心境だろう。クリスマスから「イエスの生誕」という話を引き離し、「ウインター市場(冬の市場)に呼び方を変えるべきだ」という声まで聞かれる。
ウィーンでは今年、オープンされるクリスマス市場は市庁舎前広場を含め約20カ所だ。クリスマス市場では子供連れの夫婦や若いカップルが店のスタンドを覗きながら、シナモンの香りを放つクーヘン(焼き菓子)やツリーの飾物を買ったり、クリスマス市場で欠かせない飲物プンシュ(ワインやラム酒に砂糖やシナモンを混ぜて暖かくした飲み物)を飲む。クリスマス・シーズンの雰囲気は否が応でも盛り上がる。やはり、ウィーン市民はプンシュを飲まないではクリスマスを迎えられないのだ。
“禿だ”とか“枯れ木”と批判されているツリーも夜になれば2000本のLEDの光を受けて浮かび上がり、美しい雰囲気を周囲に放つ。プンシュを飲みいい気分になった市民はツリーのことなどとっくに忘れ、市場の店をのぞき込むだろう。
ところで、メトロ新聞ホイテが8日付で報じたところによると、市庁舎前広場のクリスマス・ツリーは急きょ、枝がない個所に新枝を植え込む“整形手術”を受けたという。禿対策の植毛手術と同じだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年11月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。