二島返還論は根室の地域的利益だけから出た発想だ

八幡 和郎

安倍・プーチン会談でにわかに二島先行返還論がクローズアップされている。北方領土問題については、すでに沖縄問題でも紹介した「誤解だらけの沖縄と領土問題」 (イースト新書)でも私なりの視点で詳しく論じている。

官邸サイトより:編集部

二島返還論は、かつて、鈴木宗男、東郷和彦、佐藤優などが主導して力をもったことがある。外交官で祖父が外相、父が駐米大使だった東郷和彦は、こんなことを書いている(要約)。

「日本と日本人にとって、北方領土問題の根幹にあるものは何だろうか。一般的には、ロシアに対して安全保障や外交戦略上、優位な地位を獲得するためだとか、漁業その他の経済権益の回復のためなどと言われることもあるが」

「日本が太平洋戦争をいかにして戦い、いかにして敗戦をむかえたかという歴史に直結する」

「日本は戦後の現実を受け入れ、五一年に署名されたサンフランシスコ講和条約で、南サハリンと千島列島の放棄に同意した。しかし、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の四島の帰属をめぐる領土問題は、四五年夏に日本民族が受けた心の傷を最終的に乗り越えるための課題として、未解決のまま残された」

「外交は現在の課題に答えるだけではなく、過去・現在・未来という歴史に対して答えるものを持たなければいけないと確信するにいたった。」
(北方領土交渉秘録―失われた五度の機会」新潮社)

だいたい、もっともだが、私が外交に求めるものからすれば、少し、日本人の感情に重きが置かれすぎている印象だ。また、ソ連に裏切られた当時の外相を祖父に持つ個人的な感情がやや勝っているように思う。

私は、外交で大事なことは、将来の国益のためにどうすべきかであって、日本人の心の傷を癒やすなど自己満足の世界はそれに比べれば重要でない。

それではどう考えるべきかだが、北方四島にも北千島にも経済的な価値はほとんどないことを確認する必要がある。漁業はそこそこだが、防衛費や統治にかかる費用を考えれば微少なもので、将来ともに「赤字」だ。

積極的な使い道は、原子力関係も含めた廃棄物の処理場に使うことくらいしか思いつかない。樺太は資源豊富だが、経済的価値があるから取り戻したいというのは、少なくとも千島、とくに四島については考えない方が良い。

ただし、ローカルな利害からすれば、四島であれ、二島であれ、返還されれば公共事業の特需が出る。その意味では北海道経済にとっては大歓迎で、とくに、根室地方にとっては、沖合に浮かぶ歯舞と色丹の返還は、手っ取り早く地元の建設業者を潤するし、観光でも、根室港が基地になるのでおいしい話だ。地元で二島返還論にそこそこ人気があるのは、もっともな話なのだ。

しかし、日本全体にとっては、そんなのはどうでもいい話だ。
それでは、外交的な正義と言うことでは、日ソ中立条約を侵犯して宣戦布告したのはソ連なのですから、それに報酬を与えることはなんとしても理不尽であり、永遠に許すべきではない。

その意味では、樺太も北千島も四島も同じことなのだ。南樺太(日露戦争以前はロシア領)→北千島(日露戦争以前から日本領だが樺太千島交換条約以前はロシア領)→国後・択捉(いちどもロシア領になったことはないが、地理的には千島列島の一部)→歯舞・色丹(北海道の一部。色丹については異論もある)で、口惜しさの度合いは違う。

しかし、樺太も歯舞・色丹もロシアに取られるべきものでないことではみんな同じことだ。その意味では、私は、この問題を「解決」するのが良いかすら疑問だと思っている。もちろん、サンフランシスコ講和条約で少なくとも樺太や北千島は放棄しているのだが、むしろ、決着をつけずに、何世紀でも待っておれば、チャンスはいつか来る可能性はあるので、ロシアとは話がつかない方がいいのではないかとすら私は思っている。

とはいえ、ロシアと友好関係を持つのは、中国の台頭に対処するためにも、必要以上にアメリカに頼らないためにも大きなメリットがある。

そうであるとしたら、思い切って苦渋の選択をして現実的になるのもひとつの選択だ。たとえば、面積で二等分というなら二島+国後+択捉の4分の1だが、択捉はロシアに、残りは日本にというのも、足して2で割る解決としては妥当だ。あるいは、二島は返してもらって、国後と択捉を何らかの意味で共同管理とする方法もある。

日露関係を安定させることのメリットははかりしれない。そもそもいえば、日露戦争のあとロシア革命までは日露関係は非常によかったのである。日欧間の主要交通路は、東京から敦賀、ナホトカ、シベリア経由だった(そのあたりは回を改めて論じたい)。

そういう意味でなら、いろいろ詳しい思いがあることは明確にしたうえでなら、二島+αで手を打つことはありえないわけではない。

八幡和郎
イースト・プレス
2018-10-07

 

八幡 和郎
祥伝社
2015-11-02