私の息子には、私が元気に走り回り、喋りまくっていた頃の記憶がありません。息子が2歳の時にALSを発症して、FC岐阜の社長の時は、休みなく働いて家を空けていたので、無理もありません。
人工呼吸器をつける前の私は、息子にとって異色な存在だったと思います。ずっと車椅子に座って、遊んでもくれなくて、声を出す時は何を言ってるかわからない怒鳴り声だし、他人は家にいっぱい来るし、といった感じで、息子の中では??パパは何者??と思っていたことでしょう。
しかし、三カ月の入院生活と人工呼吸器をつけたことで、息子との関係に変化が生じます。
離れている期間が長かったのが良かったのか、「パパが帰って来たら、なわとびを見てもらうんだ!」などのような話を、しばしば妻にして、退院を心待ちにしていたようです。また、気管切開をして人工呼吸器をつけて声を失ったことで、怒鳴って叱れなくなったことも、プラスに働いたようです。
退院後は、入院前よりも息子との距離が縮まった気がします。ここから、親子関係の再スタートです!
私は、自分の両親を心から尊敬し、父については「超えるべき壁」だと思っています。いつの日か、息子とそんな関係になれたらと思います。
この記事は、株式会社まんまる笑店代表取締役社長、恩田聖敬氏(岐阜フットボールクラブ前社長)のブログ「片道切符社長のその後の目的地は? 」2018年12月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。