ファーウェイ事件雑感①複雑に絡み合う米中“場外乱闘”の図式

加藤 隆則

中国の通信機器大手ファーウェイ(華為技術)の孟晩舟副会長がカナダで逮捕されたのに続き、今度は中国で元外交官、マイケル・コブリグ氏らカナダ人2人が中国で拘束された。

ハイテクと経済の覇権をめぐるパワー・ゲームなのだから、最後はハード、ソフトの力関係と体面の保持、そして利害の計算に基づく駆け引きで落としどころを見つけるしかない。ビジネスマンのトランプ米大統領と、革命世代の正統を引き継ぐ「紅二代」習近平中国国家主席の対決は、ますます米中二大国時代の幕開けを物語って興味が尽きない。

flickr、Wikipediaより編集部作成

もし米国に法の正義があって、独裁国家の中国には理がないと考えている日本人がいたら、早く目を覚ました方がいい。そんな単純な図式で割り切れるほど、世界の政治は明快ではない。はっきり言えば、両国のトップでさえ見通しがきかないほど、利害得失が複雑に絡み合っているに違いない。

普遍的な司法の独立と正義が教科書通り存在している、と素朴に信じているのは、もしかすると日本人だけかも知れない。米国は民主的で、中国には人権がないというステレオタイプも、まずは日本の社会がどれほど民主主義からほど遠く、言論の自由に実質が伴っていないかを想起することで、いかようにも修正の余地がある。

今回のファーウェイ事件に限っては、どうみてもトランプ側の分が悪い。かりに違法行為の証拠があったとしても、なぜファーウェイだけが狙い撃ちにされるのか、似たような容疑は米国企業にも指摘されているのではないか、説得力のある説明ができない。権力を使って、トランプ氏が口にするところの“国家利益”をゴリ押ししようとする横暴さしか目に入ってこない。

2010年、日本の海上保安庁が尖閣諸島付近で操業中だった中国漁船の船長を逮捕し、その報復として、中国側がゼネコン・フジタの社員4人を「軍事管理区域の違法撮影」で拘束した事件が思い起こされる。

当時、「国民への影響と今後の日中関係を考慮すると、これ以上、身柄の拘束を継続して捜査を続けることは相当でない」と起訴猶予処分が発表され、船長は釈放された。簡単に言えば、人質の交換で手打ちをしたわけだ。逮捕に踏み切ったことが行き過ぎだったと白旗をあげたに等しいが、真相はうやむやのまま放置された。

同じように今回、カナダ政府を巻き込んだ米中の場外乱闘について、法と証拠を持ち出して分析をしても大きな意味はない。この点で中国のネット言論はたくましい。米国からの奇襲に対する中国政府の報復を受け、たちまち広まった言葉は「祖流我放」だ。

「“祖”国も“流”氓(ヤクザ者)だから、“我”(私)は“放”心(安心)だ」との意を四字熟語で表した。私は知人から知らされ、図太さとユーモアに敬服した。いくら中国の外務省や共産党機関紙の『人民日報』が法や人権、道義や文明を説いて舌戦を交わそうと、内実は仁義なき戦いでしかない。そんなことはとうにお見通しなのだ。

政府が責任逃れのために金科玉条の「自己責任」ルールを持ち出し、メディアが無批判に追随し、みなが一緒になって問題の核心から目をそらす。微小な個人の存在を顧みもしない冷酷非情な国に対して、みなが物分かりよく沈黙を守っている。これが日本の姿だ。

ファーウェイ事件がもしそんな日本に降りかかってきたら、政府もメディアも含め、まずは重箱の隅をつつくように違法性を詮索するに違いない。わずかでも個人に落ち度が見つかれば、たちどころに自己責任論が登場する。フジタ社員が拘束されたあのとき、社員への同情よりも、日本人の失態として白眼視した人が少なからずいた。

中国では法をたてに情を無視する態度を「法匪」と言ってさげすむ。秦の始皇帝が法家を重用し、非情な圧政を敷いて以来、革命という名の裁きが人権を蹂躙した文化大革命もまたしかり、中国にあって法は統治の手段でしかなかった。だからこそ儒教の説く情が尊ばれ、「合情合理(情理にかなう)」こそが人の道のあるべき姿だとされてきた。「祖流我放」はそんな正直な感情を伝えている。

漢字を巧みに操ることにかけては数千年の実績があるので、感心させられる表現にしばしば出会うのだが、冗談交じりに「祖流我放」とささやき合う人たちをみるにつけ、どこかかつてとは違った印象を感じる。

つい数年前まではこうだった。まずはネットで、傷つけられた民族感情を煽る刺激的な言論が沸騰する。糸に操られたように、怒れる愛国青年たちが外資の店舗や工場、外国大使館に結集する。「出ていけ」とヤジを合唱しているうちに、だれかが石を投げつけ始め、しまいには襲撃や強奪に発展する。だが昨今、そんな姿はすっかり影を潜めた。

中国社会で暮らしながら、ここ数年で何かが変わったと肌で感じる。

(続)


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2018年12月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。