O・ヘンリの名作「賢者の贈り物」で描かれているように、贈り物を選ぶのはとても難しい。
漁村の人たちの間では、「たくさん贈らないと失礼」という風習が残っていることがあり、漁業の依頼者の方々から大量の魚介類をいただくことがあった。
3人家族では到底食べきれず、さりとて保存はできない。
ご近所等に配って食べて貰ったこともある。
おそらく、大家族が多い漁村では、家族一人一人に行き渡るよう配慮した風習が残ったのだろう。
昨今は、引き出物や香典返しなどで、カタログの中から好きなモノを選べるよう工夫しているケースが多い。
悩ましいのが、中元歳暮だ。
昨今ではプライベートでやりとりすることは滅多になく、多くは仕事関係の相手に贈るものだろう(大昔は上司に中元歳暮を贈っていたサラリーマンがいたようだが)。
商品を特定して贈っても、「余計なお荷物」になる可能性がとても高い。
糖質制限をしている人にビール詰め合わせを贈っても、贈られた方が困る。
挙げ句の果てには、「掟破りのお歳暮回し」という交換会が行われることもあるそうだ。
昨今は中元歳暮も少なくなっているし、「今後はお気遣いなく」という意味で一応の「お返し」をして打ち切るケースも増えている。
誕生日は、その人にとってはクリスマス以上に大切な日だ。
イエスの誕生日よりも自分の誕生日の方が重要なのは当然だろう。
友人、知人たちへの誕生日プレゼントで一時期あれこれ迷ったものだが、最近は「邪魔にならないもの」で通している。消耗品であるグラスや枯れてしまう花などでようやく落ち着いた。
子供のクリスマスプレゼントは、(おそらく多くの家庭で)事前に子供がサンタさんにリクエストをするので品物で困ることはないだろう。
わが娘は、中学生になるまでサンタクロースを信じていたと言っている。
冗談かリップサービスだと思っていたが、どうやら本当のようだ。
精神年齢が低かったのかもしれないが、他の同級生よりも夢を持つ年数が長くて得をしたと善解している。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年12月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。