独週刊誌シュピーゲルで捏造記事を書き続けてきたジャーナリスト、クラース・レロティウス記者(33)はシュピーゲル誌編集担当者とのやり取りに応じている。そして同記者が書き、大きな反響を与えた様々なルポ記事が事実ではないことが次々と判明すると、「僕は病気だ」と呟いたという。
レロティウス記者は自身がPseudologia Fantastica(虚言癖)、ないしは「ミュンヒハウゼン症候群」(虚偽性障害)に悩まされていると告白したのだろうか。それとも責任能力がない心神喪失として刑罰を逃れようとする“もう一つのウソ”だろうか。
現地に取材に出かけずルポ記事を書いた。単に書いたというより、読者を感動させるストーリーを作った。現地取材した記者でもなかなかできない感動を読者に与え続けてきた。存在しない人物が登場し、存在する人物はまったく別のプロフィールで描かれ、シリア内戦で犠牲となったという人間は実はまだ生きていた、といった具合だ。
その前に思い出さなければならない点は、調査報道で世界的なメディアの一つであるシュピーゲル誌には社内にルポ記事を検証する部門があることだ。記事を書いた場所やそこに出てくる映画館、喫茶店が本当に存在するかを追跡調査するばかりか、ルポ記事を取材した日の気温から、記事で出てくる地理的な情報についても検証する。
記事の中で「市庁舎から最寄りの駅まで15kmだった」と書かれていたとする。ルポ検証担当者はグーグルマップで実際に15kmかを調べる。いい加減な捏造記事ではその厳密なコントロールをすり抜けることはできない。なぜシュピーゲル誌のルポが高く評価されるか、その理由も理解できるというものだ。厳密な校閲と検証だ。
その唯一の例外はレロティウス記者のルポ記事だった。担当官が怠慢であったのか、何らかの縁故関係があったのか。担当官は記者の捏造に気が付かなかったばかりか、称賛すらしているのだ。
ちなみに、同記者は珍しいことだが、同僚記者から受けがいい。仕事ができ、性格もよく後輩の面倒見もよかった。またメディア関連の賞をとっても傲慢にならず、謙虚な性格だったので、「彼ならば受賞しても当然」といった評価が定着していた。同僚記者から嫉妬されたり、批判を受けるということはなかったという。
真偽は別として、同記者のルポは展開だけではなく、その状況風景が生き生きと描かれている。死んだ母親をシリアの2人の姉弟が「手で埋葬」したという個所などは読み手の涙腺を緩めてしまうほどだ。それが事実だったらいいのだが、嘘だった。姉はいないし、子供の母親は死なずに、トルコで生きているのだ。
それではなぜレロティウス記者は登場人物のセッテイングを変えたり、その発言内容を微妙に操作したのだろうか。推測だが、その方がドラマチックな筋展開となるからだ。ネットフリックス(NETFLIX)やアマゾン・プライムを観てきた世代にとって、ドラマのないストリーは退屈だ。レロティウス記者はその原則通りに自身のルポ記事をドラマチックに描いていった。あたかも、「真実は退屈だ」というようにだ。人の一生をドラマツルギー(Dramaturgie)で演出したわけだ。
現代人はドラマの時代に生きているから、「正しい報道」や「客観性の報道」といった命題より、「ドラマのある報道」を期待する。レロティウス記者は登場人物の心情風景を音楽を通じて描写することに拘る。音楽が生み出すドラマを愛するからだ。
レロティウス記者の豊かな創造力、表現力を発揮できる世界はメディアの世界ではなく、小説の世界であり、映画の世界ではなかったか。間違ってメディアの世界に飛び込み、その創造力を発揮したことがレロティウス記者の蹉跌の主因となった。
メディアの世界で昔、元日本共産党幹部「伊藤律インタビュー」といった架空の会見記事を一面トップで報道したり、サンゴ礁捏造記事を報じて物議を呼んだ日刊紙があった。メディア機関は通常、記事が退屈な事実の羅列に過ぎないとしても、それを使命として真実を報道するのが正道だろう。メディアがドラマを追及しだしたら、その瞬間、事実報道は消滅していく。
いずれにしても、「僕は病気だ」というレロティウス記者の台詞は、彼のルポ記事と同じように、聞く者に“ドラマチック”な効果を与えることは間違いない。
最後に、レロティウス記者の捏造記事事件の影響はどうだろうか。まず第1に、紛争地など現場取材する記者たちに大きなダメージを与えることだ。情報の真偽が問われ、読者の共感を得ることが一層難しくなることが予想される。次に、シュピーゲル誌編集関係者と週刊紙ツァイトのジョバンニ・ティ・ロレンツィオ編集長との会見の中でも言及されていた内容だが、グーグル、フェイスブック、グーグルマップ、ユーチューブなどITの先端技術を駆使することで必要な情報を獲得できる時代に入ってきた。報道機関の経済問題もあって、ジャーナリズムの現場主義にも変化が考えられる。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年12月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。