国際捕鯨委員会からの脱退に思うこと

岡本 裕明

日本政府は国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を決定しました。同委員会に於ける捕鯨の考え方について日本側と全くそぐわないことからこれ以上、この団体に所属していてもしようがないという結論に達したようです。本件、皆様、それぞれに思うことがあるでしょう。議論百出だと思います。

まずはいきさつ等について簡単に触れておきます。

国際捕鯨員会はクジラ資源の管理を目的に1948年に主要捕鯨国15カ国で設立されました。当初は南極での捕獲高規制以外は何もなかったのですが、1960年以降、一部の捕鯨国が反捕鯨化に転換します。理由は採算が合わないこと、動物愛護、環境保護などで英米、オランダ、オーストラリアがその先陣となっています。その後、70年代に入ると捕鯨国と反捕鯨国の対立が激化、反捕鯨国の多数化工作で1982年に捕鯨モラトリアムが可決されます。これにより商業捕鯨禁止の道筋ができ、IWCでは賛成が4分の3がないとこれを覆せないため、日本の捕鯨は調査捕鯨を別にして実質封じられてきました。

一方、日本に於ける捕鯨の歴史は縄文時代に始まるとされるほど古く、海洋国家日本は鯨と共生してきたと言ってもよいでしょう。この歴史は戦後直後、別の形で多くの国民に接することになります。それは敗戦後の日本の食糧事情が悪く、鯨肉は貴重なたんぱく源だったことからGHQが捕鯨を承認するのです。当時、日本人は動物性たんぱく質の4割をクジラに頼ったのです。

ところが鯨肉は必ずしも旨い、という印象を持っていない方もいるでしょう。(クジラ肉が好きな方には異論があるのは分かっていますが、あくまでも一般的印象です。)小学校の給食で鯨肉が出た記憶がある方は今50代半ばから上だと思います。私も食べましたがとても嫌いでした。とにかく堅い肉だったこと、パサついていたことなどを覚えています。当時の給食ですからそんなに作り立てのうまいものが出てくるわけではなかったこともあるでしょう。

ただ、私の味覚がそれほど狂っていなかったと思われるのはその後、鯨肉の消費は大きく下落するのです。1960年代前半は年20万トン以上の消費があったのに1980年には5万トンを割る水準になっています。つまり、上記でいう1982年のモラトリアムの前に既に日本では鯨肉は主流ではなくなっていたのであります。そして、商業捕鯨禁止後は年間数千トン程度で推移しています。

80年代にはすでに鯨肉が一般家庭の食卓から消えているわけですから今、30代以下の人は食べたことすらない人がほとんどではないでしょうか?

そんな中、国際捕鯨委員会からの脱退を決意、それに関して菅官房長官の談話として「来年から商業捕鯨を再開すること、IWCが反捕鯨ありきの団体となり、発展的討議が出来ないことを鑑み、脱退することとした」(意訳)としています。

ではなぜ、ここにきて脱退に至ったのか、政治的背景とみる節はあります。つまり、和歌山太地町を地盤にする二階幹事長、下関を出身とする安倍首相、千葉の捕鯨拠点を持つ浜田靖一捕鯨対策委員長といった捕鯨に縁がある政治家が後押ししたとみられています。

これを矢面で進めたのが水産庁でそれに対して穏健な解決方法を探る外務省と激しく対立したものの水産庁が押し切った形となっています。

さて、では日本は何をしたかったのか、私はここがよくわからないのです。確かにニュースを読む限りIWCのスタンスは一方的に見えます。しかし、日本がIWCを脱退してまで商業捕鯨に固執する理由もどこまであったのか、これも分からないのです。食道楽の日本ですからきっとうまい料理の仕方を考えるのでしょう。しかし、今だって鯨肉専門の料理店はあります。それが大行列だという話は聞いたことがありません。要は珍味に近いものになっているのではないかと思います。

私は以前、国際委員会等からの脱退は負け戦という趣旨のことをこのブログで書かせて頂きました。脱退とは議論を止める、そして国際社会との協調を放棄するということであります。アメリカがパリ条約を脱退するのと同じ。その時安倍首相は残念だとコメントしました。もちろん、脱退することで突然、嫌がらせがあるかどうかは分かりません。しかし、関係国には強烈な印象として焼き付けることになるでしょう。

今年の平昌オリンピックのころ、韓国で犬を食べる習慣があることに一部の世界から強い抗議の声が上がりました。同国内でも賛否両論のようですが、日本人もさすが気持ちいい話ではないでしょう。中国ではかつて奇妙なものを食べる美食家クラブなるものがあり、あり得ないものを相当食していたことが暴かれたことがあります。私は香港に勤務していたある日本人から聞いたのですが、生きたサルの脳みそを食べるというのもあったそうで、文明国として強い拒否感を持ったのを覚えています。

つまり、どの国にもあまり自慢できない歴史はあるわけでその歴史を維持する国家と昔話として歴史の中に仕舞う国家があるのだろうと思います。日本は捕鯨の歴史と鯨肉という食を伝えたいという文化を持っています。但し、文化が国民社会一般に商業レベルで水平展開されるものでもないと考えます。

ならば、ここは国際捕鯨員会からの脱退ではなく、文化、歴史、伝統の維持というレベルの捕鯨に対する理解を求めていく方が良かったのではないかと考えています。消費量としては今の調査捕鯨の余り肉でも国民の大多数は困っていないでしょう。

皆様、様々な意見があるかと思います。脱退することを捕鯨の話とは切り離し、国際社会に日本の立場を明確に示したという意見もあるかもしれません。ただ、こう言ってはお怒りを買うかもしれませんが、捕鯨を通じた国際社会との断絶は日本の今後の水産事業に大きな試練を与えることになることは否定しません。マグロを含む遠洋漁業に対しても世界の目は厳しくなるでしょう。私はこれは逆効果だったと感じています。

忌憚ない意見、お待ちしております。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2018年12月27日の記事より転載させていただきました。

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会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。