2019年日本展望:明るい未来の構築と人々の絆

岡本 裕明

昨日の「2019年 世界展望」に続き、本日は「日本展望」です。

日本の景気はどうなの、と聞かれれば個人の主観が入るものの、相対的に見れば良いと考えています。(統計では1月にも戦後最長の好景気となる見込みです。)景気の感覚と財布のひもは必ずしもリンクしないのがこの世界。「私、ケチだから」と自認する人は案外多いものです。特にある程度の年齢になった女性から多く聞かれる言葉です。

私の周りでも十分収入があるにもかかわらず、消費を渋る人は案外多いものです。でもその人たちは幸せそうな人ばかりです。つまり、しっかりため込んでいる、これが、今の日本の方々の特徴といってよいでしょう。

政府が悩んでいるのはこの滞留した高齢者の持つ資産をどう動かすか、であります。会計でいうと貸借対照表で固定資産化(=退蔵化)している定期預金をどうにかして損益計算書上の支出の項目に移行させたいわけです。そのため、孫への教育資金贈与やら何やら工夫はするもののそれは余力ある高齢者向けの話で一般大衆は「このお金が私たちの生命線。あと何年生きるかわからないから大事にしなくちゃ。」となるわけです。

人が亡くなる時、資産がマイナスになっていたという話はあまり聞かず、どこかにちょっとした資産は残っているものです。(残された人に迷惑をかけたくないという日本的美意識もあるでしょう。)最近身内がお亡くなりになった方がいるのですが、その人のお金遣いが急に変わったのです。直感で「あぁ、相続があったんだな」と分かります。

日本の景気が良くなるとすれば高齢者の方が残される膨大な資産が子供たちに委譲された時、あぶく銭と化し、怒涛の消費に走る、という想像ができなくはありません。年頭の話としてはあまりふさわしくないですが、そんな現実は頭に入れておくべきでしょう。

さて、日本展望ですが、世界で起きる様々な事件や変化、荒波に対して日本は本当に隔離されており、「へぇ、そうなの、アメリカも中国もヨーロッパも大変ねぇ。」と茶の間でミカンを食べながら呟いている余裕があります。もちろん、様々な社会問題は日々、起きていますが、海外のそれとは悲惨さが違うし、緊迫感も違います。

憲法改正議論がなかなか進まないのも日本が平和で安泰だからでしょう。政権をめぐり暴動も起きないし、沖縄を除き、デモが何週間にもわたって起きたり、ましてや警察が催涙ガスを使うような事件は近年ほとんど聞いたことがありません。戒厳令や非常事態宣言も海の向こうの話です。

冒頭、お財布のひもは硬いけれど幸せそうな日本の人たちの姿を描いたのはまさにここにポイントああります。マラソン大会や駅伝が年中開催され、スポーツイベントやコンサートも花盛り。海外に住む私からすれば日本はエンタテイメント大国であります。そこには人々の笑顔があり、安心感があり、自分なりの将来設計ができる読みやすさがあります。海外のようにある日政権が変わり、ルールが突然180度変わったという衝撃もないし、それを見越して人々が様々な対策に勤しむということもありません。

2019年は元号も変わります。そんな新しい日本に期待することは明るい未来の構築と人々の絆でしょうか?SNSの表層の付き合いではなく、リアルコミュニケーションに「飲みニケーション」を通じたふれあいを期待します。

また、世界がうらやむ安定した先進国として真の意味でのおもてなしや優しさを年3000万人もの訪日外国人たちが認識した時、「ジャパンクオリティ」は家電製品や自動車だけではなく、サービスも世界最高峰の水準だという印象を持ってくれるでしょう。私はこれが日本の新しいビジネスになると考えています。

日本では台風、地震といった天災と常に隣り合わせでありますが、そのたびに日本は強くなっていく感じもします。社会の緊急時対応システムがどんどん充実し、そういう経験を踏まえた国民も多いことから「何があっても大丈夫」という心の強みさえ感じます。

立派な国だと思います。そして海外にいて「日本人でよかった」と思う瞬間でもあります。

2019年の日本は精神的にもより一層磨きがかかるよい年となると確信しています。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年1月2日の記事より転載させていただきました。