アップルの売上高見通し引き下げを起点に年始の株式相場が急落した。
NY株、660ドル安 「アップル経済圏」に売り広がる(日本経済新聞)
アップル製品について否定的な意見を述べるのには、勇気が必要だ。
ジャニーズや巨人軍、ビートルズの悪口を言うと、結構深刻に人から嫌われかねないのと同様、アップル製品を日々愛用している人は実に多く、彼らのアップル愛は非常に深い。
いや、もちろん私とてアップル愛は大いにあるのである。だが愛深きゆえに、結構前からアップルユーザーではなくなってしまった。
今回のアップルショック、中国市場での販売減速が要因と解説されている。
しかし、私は少々違う見方をしている。
最近のアップルは、期待値と実際の製品との乖離が大きい。というか、私を含めた世の中の人々のアップル製品への期待が高い、高すぎるのである。次もまたその次もアップルは私たちを大いに驚かせてくれるのだと、勝手な高揚感でいつも胸がいっぱいなのだ。その期待値は気が付けばエベレストより高くなってしまった。最新のアップル製品も十分素晴らしいものなのだが、ハードルが高くなりすぎているのである。
平成はアップル製品とともに過ごした時代
大学卒業と同時に広告代理店に入社した。広告の仕事は期待していた通り、コミュニケーション戦略の開発から撮影・イベント立ち合いなど、クリエイティブな仕事であった。一方で思った以上にデスクワークも多かった。特に、表計算やクライアント提出用の資料作成などドキュメンテーションの重要性は高く、例えば、メディアプランやマーケティング調査のまとめ、数字の羅列となる資料作成が膨大にあった。
まだまだ手書きは当たり前、超極細の特殊なペンを使い、異常なほどキレイに仕上げる職人技を持った先輩が活躍していた。
当初、部署に1台だけパソコンがあったがMacOSもwindowsもまだ一般的ではない時代、なんとか手書きの資料を表計算ソフトに置き替えられないかと考えると、MS・DOSでプログラミングするしかなかった。
そんな時代に、今では当たり前となったGUI(グラフィカルユーザーインターフェース)を搭載したマッキントッシュコンピューターにはじめて触れたときのインパクトはとてつもなく大きいものだった。そう、面倒で複雑なコマンド入力は必要なく、最初から主な機能が設定され、アイコンやドラッグ、クリックするだけの直感的な操作性は、すべてが斬新でとにかく使いやすくありがたかった。
躯体はコンパクトで格好よく、何より繊細な書体のユーザーインターフェースや、ちょっとユーモラスなコメントをマックが喋ったり。スーパークール!まさに一目惚れ!マック愛に目覚めた瞬間だった。(ちなみに、グラフィック広告をデータ入稿するようになって以来、マックでの制作がデファクトとなった。常にハイスペックの最新鋭機を大量導入し続けてきた広告業界の存在は、アップルの隆盛に少しは貢献しただろうか?)
その後、Windows95が世に出てからはWindows全盛の時代となるが、リリース当時「Windows95はMac84」などと揶揄されるほど、先進性に差があったことを記憶している。
その後のジョブス復帰後の奇跡的ともいえる輝かしい功績を含めて、アップルやその製品については、誰しもが自分なりの関わりや思い入れがあり、熱く語るところだろう。
ここで多くを語る野暮はこれくらいにしようと思うが、奇しくもアップル製品と我々がともに過ごしたこの平成という時代が終わろうとしていることには、感慨を禁じ得ない。
Less is Bore
さあここから、愛深きゆえに勇気をもって今のアップルへの不満を言おう。
まず何より、デザインコンセプトが飽きられてきていると私は思っている。
現在のアップル製品はジョブスが“禅”に傾倒していたこともあり、ミニマリズムに徹している。これ自体は素晴らしいことで、アップル製品の魅力であったことは否定しない。
しかしながら”Less is bore.(寡黙な表現は退屈)”という言葉がある。これは建築の世界でモダニズムの巨匠ミース・ファン・デル・ローエの”Less is more.(寡黙な表現ほど豊潤)“という有名な箴言に対して、ロバート・ヴェンチューリが言い放った言葉である。
近代建築は、長きにわたりミニマリズムを主要な要素とするモダニズムを突き詰めることで進化してきた。その試みがきわまったところで、ポストモダニズム等、そのミニマリズムを超える表現を模索する試みが近年なされてきたのである。隈研吾氏も、一時はポストモダニズムを追求するなどその系譜の建築家である。
そう、ミニマリズム一辺倒ではアップルに期待される革新性はもはや実現しない。日本最初のアップルストアが銀座にオープンしたのは2003年。残念ながら当初の新鮮さを感じるとは言い難いだろう。アップルは生活者の期待を超えていかなければならないのだ。
振り返れば、かつてアップルのデザイン言語は元来ミニマリズムだけではなかったはずだ。初代iMacはカラフル&スケルトンの躯体が斬新であったし、初期のマッキントッシュからはユーモアを感じる部分さえあったのである。
この点では例えば、ルイヴィトンのように成熟しきったブランドが、ある時期グラフィティ(落書き)という手法で自らをディスラプション(破壊的イノベーション)したような例が良い参考になるのではないだろうか。
ジョブス氏が生きていたら、かなり過激なディスラプションを演じて見せてくれたはずだ。
肝心の音楽で後れをとるのは残念すぎる
次の問題は音楽ストリーミングへの対応の遅れだ。
iPodが革新的な製品であったことに異論はないだろう。ジョブス氏が若い頃からソニーのウォークマンへの興味研究を重ねていたことは有名な話だ。iTunesも、かつて優位性のあるサービスであった。この音楽という一大カテゴリーと共に進化してきたことも、アップル製品を文化性ともなう別格な存在たらしめてきた。
しかしながら、ここ数年音楽のストリーミング配信の世界が独自に目覚ましく進化した。
Spotifyや日系配信サービスAWAなど多くのサービスが立ち上がり、それぞれのカタログ数は5000万曲レベルとまさに膨大。突如として音楽好きの人々の目の前に、一生かかっても聞ききれない音楽ライブラリーが月額1,000円程度で実現したわけで、まさに革命的な出来事としか言いようがない。
Bluetooth技術の進化とあわせ、かつて液晶テレビその後スマホに占領されてきた家電トレンドの発信地である有楽町ビッグカメラの一階は、今やワイヤレスイヤホン祭りである。
実は、そんな音楽好きに天啓をもたらしているこの領域で、アップル製品は残念ながら先行しているとは言い難い。アップルの音楽配信Apple Musicは、配信スペックで未だSpotifyにも劣っている。(アメリカにおける有料会員数でSpotifyを抜いたとの記事があったが、iPhoneのシェアを考えると喜べる数字ではないだろう)
市場では既に他のプレイヤーによってハイレゾでのストリーミングサービスが開始されつつあるが、私見では、アップルこそがこの領域に最初から取り組むべきであったのである。
そこに愛はあるんか?
さて、今回のタイトル「そこに愛はあるんか?」という問いに対してだが、すでにお分かりと思うが私の答えは「ある」一択である。いやあり過ぎる。だからこそアップルを愛する人間の一人として、今年こそ久しぶりの、我々をあっと言わせてくれる新製品に期待することにしよう。
しかし、アップル株を今買うべきと聞かれれば、そうは思えないと答えるしかないのもまた正直なところである。
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秋月 涼佑(あきづき りょうすけ)
大手広告代理店で外資系クライアント等を担当。現在、独立してブランドプロデューサーとして活動中。