10周年復刻④表面化する技術と社会の対立 著作権法巡る混迷 --- 津田 大介

アゴラ

2009年1月1日に創刊したアゴラ。10年の歴史を振り返ると、社会を動かした投稿、「過去にはこんな人も投稿していた」など、注目すべきアーカイブ原稿が見受けられます。10周年企画として、編集部で注目した過去記事を随時ピックアップしていきます。

復刻版4回目は、創刊2年目に掲載していたジャーナリストの津田大介さんの論考。津田さんが過去に寄稿していたことに驚かれる方も多いと思いますが、津田さんはインターネットと著作権問題に造詣が深く、10年ほど前には「ダウンロード違法化」を巡って池田信夫と意見が一致。シンポジウムで共演したこともありました。

(アゴラ編集長 新田哲史)

※再掲載にあたり、読みやすくするように段落等、一部編集しています。

表面化する技術と社会の対立 著作権法巡る混迷の原因はどこに

Wikipedia:編集部

今年(編集部注・2010年)1月1日からネット上で違法に配信されている音楽・動画を違法と知りつつダウンロードする行為を違法とする、いわゆる「ダウンロード違法化」の規定が盛り込まれたように、09年はデジタル技術・インターネットにまつわる著作権問題を考える上で大きな転換点となる年だった。

そんな中具体的な現象面として起きていることは、コンテンツ産業の代弁者たる権利者と、コンテンツを利用するメーカーやIT事業者、コンテンツを消費するユーザーという3極の対立激化だ。

ダウンロード違法化は、コンテンツ産業における権利者と消費者との争いだったが、09年秋にはそれに加えて権利者と機器メーカーの争いも勃発した。09年2月に東芝が発売したデジタル専用テレビ録画機の私的録画補償金の支払いをめぐって補償金を徴収する私的録画補償金管理協会(SARVH)が補償金の支払いを行っていない東芝に対して補償金相当額として3264万円の支払いを求める訴訟を提起したのだ。

東芝やパナソニックをはじめとするメーカーは補償金制度を巡る文化庁の審議会で「ダビング10のような厳しいDRMの下ではそもそも権利者に補償すべき逸失利益が存在せず、補償金を払う必要がない」と主張。この主張は権利者と真っ向から対立し、審議会は物別れに終わる。その後、メーカー側はデジタル専用録画機の補償金を支払わないことを決め、権利者はSARVHを通じて提訴した。著作権問題で権利者と大手家電メーカーが真正面から係争するのは日本の著作権史上でも初めてのこととなる。

技術と社会の対立という軸で争われた著作権関連の裁判では、2月に一審で著作権侵害が認定された日本デジタル家電のテレビ番組転送サービス「ロクラク」が知財高裁で「著作権を侵害しない」という逆転判決が出されたことや、10月に一審で有罪判決を受けたWinny作者が高裁で逆転無罪を勝ち取ったこととが挙げられる。

どちらも一審は権利者の主張を認めるものだったが、二審ではその主張がひっくり返された。通常著作権侵害を巡る裁判では権利者に有利な判決が出されることが多いため、この2つの判決は裁判の潮目が変わったという意味で大きな意味を持っている。

ユーザーにとって便利な機器やサービスが日々進化することでもたらされる「技術と社会の対立」は激化する一方だ。しかし、新しい技術やそれによって生まれた消費者ニーズを法や制度で押さえ込もうと思っても限界がある。悠長に数年かけて裁判所や官庁で議論してい間にも、コンテンツを消費・共有するプラットフォームは進化していく。新たに登場する革新的なスキームの目を潰さないためには、これまで以上に著作権行政に対する司法の役割が大きくなっていくだろう。

しかし、そんな中、1月20日に文化庁傘下の文化審議会著作権分科会法制問題小委員会(以下法制小委)に同委員会のワーキングチームが作成した報告書が提出された。法制小委は著作権法関連の学者が集まり、法制度を議論する委員会で、例年はこの委員会を中心に著作権法改正の議論が行われている。

今年度開催された法制小委は、日本の著作権法に米国などで導入されている「フェアユース」のような包括的・一般的な権利制限(他人の著作物に対して許可を取らずに自由に利用できる例外的なケース)を日本に導入するかどうかを話し合っていた。ここで提出された報告書が実質的に「日本版フェアユース」の核となるわけだが、その内容は一方的に権利者の主張を認めるようなものになった。

仮にフェアユースを導入した場合に権利制限の対象となる行為について

「写真の背景に著作物が写り込んだ場合など、ほかの行為の付随的に著作物が複製され、複製の量や質が軽微で、権利者に不利益はないと考えられるケース(形式的侵害)」

「著作者に許諾を得てCDに楽曲を録音する際のマスターテープ作成といった、適法な著作物の利用に不可避的に生じる利用で、質的・量的に軽微なもの」

「映画や音楽の再生技術の開発時に必要となる複製など、著作物の表現を知覚する(映画を見たり音楽を聴いたりする)目的ではなく、権利者に不利益をもたらさないもの」

という3つの類型に分類し、それに加えて「著作者の権利を不当に害する可能性が否定できない」とし、「権利制限の要件に、『社会通念上、著作者の利益を不当に害しない利用であること』と加えることが適当」という限定的な形でしかフェアユースを定義しなかった。

しかし、ここまで具体的に侵害行為を規定し、なおかつ「社会通念上、著作者の利益を不当に害しない利用である」という項目を加えるのは、新たな「権利制限の個別規定」が権利者の都合の良いやり方で導入されたことに過ぎない。

米国のフェアユースのように「トランスフォーマティブ(変形的著作物利用)」といった考慮要素は含まれず、広い利用行為を対象としないため、仮にこれが導入されたところで、著作権をめぐる状況は実質的に一切変わらない。これでは「子供だましのフェアユース」と言われても仕方がないだろう。

しかも、これだけ限定されたフェアユースであっても「権利者と利用者の意見の隔たりが大きい」という理由で見送られる可能性があるというから驚きだ。

著作権法のあり方だけでコンテンツ産業や情報技術産業が振興されるわけではないが、産業振興・文化発展のために法改正を行うという目的を遂行するのであれば、ビジョンを持って、状況の変化に寄与するような法改正を行うべきだ。おためごかし的に「知財本部から言われたからフェアユースを形だけ導入しましたよ」ということでは、コンテンツビジネスやネットサービスをめぐる著作権問題の混迷が解決することはないだろう。

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