英のEU離脱はヒトラーの亡霊の業?

長谷川 良

英議会(下院)で15日、メイ政権がブリュッセルで欧州連合(EU)との間で合意した離脱合意案が賛成202票、反対432票の大差で否決されたことを受け、英国のEU離脱(ブレグジット)の行方は混沌となり、離脱のタイムリミットである3月29日までに「合意に基づく離脱」が実現できるかは不透明となってきた。

▲英国のEU離脱のために奮闘するメイ英首相(2018年12月14日、欧州理事会での記者会見で、英国首相官邸公式サイトから)

野党労働党はメイ政権への不信任決議案を提出(16日、否決)、メイ首相は21日まで離脱プランBを提示できるか、メイ政権の辞任、早期総選挙の実施か、それともEU離脱を問う2回目の国民投票を実施するかなど、さまざまなシナリオが模索されている。

ブレグジットの行方を考える前にもう一度その原点に戻ってみたい。英国は2016年6月23日、EU離脱の是非を問う国民投票を実施した。国民投票の実施はキャメロン首相(当時)の選挙公約でもあった。ただし、離脱派が約51.9%を獲得、僅差で残留派に勝利したことは同首相にとって想定外だった。キャメロン首相は引責を取って辞任、その後任にメイ首相が就任し、EU基本条約(リスボン条約)50条に基づいた離脱申請をブリュッセルに提出。離脱交渉が始まった。紆余曲折を経て、昨年離脱案が合意され、3月29日までに離脱する運びとなっていた。

ところで、英国民はなぜEUから離脱を願っていたのだろうか。離脱派の情報操作や偽情報が多くの国民をミスリードした結果だろうか。しかし、それだけの理由だったのだろうか。離脱派は、「英国の主権はブリュッセルによって制限され続けた。EUの植民地となったわが国の完全な主権を取り戻すためにはEUから離脱する以外にない」と説明してきた。

独週刊誌シュピーゲルの昨年12月8日号には興味深いエッセイが掲載されていた。見出しは「愛すべき敵からの逃亡」(Flucht vor dem Lieblingsfeind)だ。著者はアイリッシュ・タイムズ紙のコロムニスト、フィンタン・オトゥール記者(Fintan O’Toole)だ。同記者によると、「ブレグジットの破滅の責任の一端はアドルフ・ヒトラーにもある」というのだ。風が吹けば桶屋が儲かる、といった類の論理ではない。記者は真顔で語っているのだ。なぜならば、EUは多くの英国民にはドイツのパワーツールだと受け取られているからだ。だから、英国人は、「EU離脱交渉は本来、ブリュッセルではなく、ベルリンで行うべきだ」と考えてきたわけだ。

実際、離脱派の一人でブレグジット担当相となったデイヴィッド・マイケル・デイヴィス氏は2016年の国民投票前、「われわれの第一の相手はブリュッセルではなくベルリンだ」とはっきりと強調している。

EUの各種機関、欧州委員会、欧州理事会、欧州議会は複雑な規約のもとに運営され、加盟国は必死にコンセンサスを模索するが、それらは一種の劇場の演出に過ぎない。実際はそれらの背後にドイツの支配がある。だから、英国はブリュッセルで協議するのではなく、ベルリンで行うべきだという理屈になるというわけだ。

オトゥール記者は、「これを英国人の妄想と言って笑えない。英国は過去、他の国より多くの体験を重ねてきた。第2次世界大戦後、英国は戦勝国として終戦を迎えたが、その後の動向から、実際の戦勝国は敗戦国のドイツや日本ではないか、という思いが湧いてくる」という。共同通貨ユーロの導入が決定された時、「ドイツが他の加盟国を支配するための手段」と受け取り、「ユーロはドイツ産業界の詐欺だ」という声が英国産業界で聞かれたほどだ。

メイ政権下で外相を務めた離脱派のボリス・ジョンソン氏は同じく国民投票前、「EUの統合プロセスはナポレオン、ヒトラーなどが試みたものであり、それら全ては最終的には悲劇的な終わりを迎えた、EUはヒトラーと同じ目標を追求している。超大国だ」と英日刊紙デイリー・テレグラフで述べている。

離脱派はキャンペーンで、「わが国は独裁的なEUの侵略に直面している」と国民に警告を発し、母国を救済する騎士のような役割を演じた。その成果はブレグジットとなったわけだ。離脱派は国民の深層心理にある“ドイツへの恐怖”を巧みに利用し、ブレグジットに駆りたたせていったのだ。

ちなみに、英ロックグループ「オアシス」のリーダーだったノエル・ギャラガー氏は国民投票前日、インタビューの中で、「国民はバカだから、EU離脱か残留かを問いかけても意味がない。高い給料をもらっている政治家こそ、国の行方を真剣に考え、決定すべきだ。国民に委ねるべきではない」と述べ、国民投票の意義に疑問を呈した。

ノエル氏にとって、国民投票の実施は政治家の怠慢以外の何ものでもない。国民の税金から高い給料を得ている政治家が肝心の重要な政治課題を決定せず、国民に投げ返している。どれだけの国民が問題を正しく理解できるか、というわけだ。残念ながら、ノエル氏の正論は聞いてもらえなかった(「国民投票を批判したノエルの『正論』」2016年6月24日参考)。

皮肉なことは、「欧州の盟主」、「欧州の顔」といわれてきたドイツのメルケル首相が昨年、政界からの引退を表明する一方、フランスのマクロン大統領は労働者からの強い抵抗に遭って対応に苦しみ、EUでの影響力を失ってきた時、英国は奪われた実権を取り返す絶好のチャンスにもかかわらず、EUから姿を消そうとしていることだ。英国が今年、EU離脱を問う国民投票を行えば、違った結果が出てくるかもしれない。いずれにしても、英国の“ドイツへの恐れ”は第3者が考えている以上に根が深いのかもしれない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年1月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。