前回に引き続き、歴史学者と歴史作家の考え方の違いについて説明したい。
井沢氏の執筆姿勢の変化
井沢氏はもともと推理小説家だったので、かつては歴史を題材とする場合には、現代に発生したという設定の(架空の)殺人事件と絡めて小説として発表していた。いわゆる「歴史ミステリ」で、現代を舞台として架空の探偵が殺人事件の解決のついでに歴史上の謎を解明するというスタイルである。名探偵・神津恭介が義経=ジンギスカン説を検証する高木彬光の推理小説『成吉思汗の秘密』(1958年)など、こういう小説は昔からあり、私も否定する気はない。
だがこれではインパクトが弱いと思ったのだろうか、井沢氏は架空の探偵を置くのではなく、自らが“歴史探偵”となって歴史の謎に挑むようになった。それが『逆説の日本史』などの著作である。
歴史の謎解きという内容面では初期の歴史ミステリと大差ないが、フィクションではなくノンフィクションの体裁へと変化した。率直に言って、こういう執筆姿勢には違和感を抱かざるを得ない。史料がなくても「推理」で答えを出すというのは、歴史研究ではなく歴史小説である。小説として書くのが正しいと思う。
『激論歴史の嘘と真実』という井沢氏の対談集がある。この中で井沢氏は作家だけでなく、今谷明氏や松島栄一氏といった歴史学者とも対談しているが、借りてきた猫のようになっている。作家ならではの奔放な想像が元になっているから話としては面白いが、専門家に厳密に詰められるとタジタジになってしまう。
しかし、上のような事例は少ない。作家のヨタ話に正面から向き合う歴史研究者はほとんどいないので、基本的には作家の言いっ放しになる。結果として作家の憶説が世間に浸透する。下記インタビューでも述べたように、陰謀論が広まるのはこのためである。
「この国に陰謀論が蔓延する理由」歴史学者・呉座勇一に訊く(現代ビジネス)
久野潤氏の責任
とはいえ、井沢氏は最初から「史料はないけど推理する」とフィクション宣言しているので、まあ許容できなくもない。
だが『日本国紀』の場合、作者の百田尚樹氏が「『日本国紀』に書かれていることはすべて事実」と豪語している。それなのに、古田武彦氏や井沢元彦氏、江藤淳氏らの根拠に乏しい仮説を特段の検討なく、ふんだんに取り込んでいる。そして歴史学者である(らしい)久野氏が「監修」とー結果的にお墨付きを与えている。
『日本国紀』が発売されたら、歴史学者から批判が殺到するはず、と期待するアンチが多いが、彼らの期待は裏切られる。
なぜなら『日本国紀』に書かれていることはすべて事実だからだ。
ただ、その事実の多くが、それまでの歴史教科書には書かれていなかったということだ。— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) November 4, 2018
八幡氏は久野氏に同情的である。「監修」ということになっているが、実際には世間一般の監修者としての権限は与えられておらず、久野氏の百田氏への影響力は限定的であった、というのがその理由である。
けれども、そうであるならば、久野氏は「自分は実質的には一協力者にすぎない」と表明すべきであろう。自ら積極的に「監修」と称し、監修者代表として「井沢説を取り入れて何が悪い」と主張するのであれば、歴史研究者として批判せざるを得ない。
(了)