中選挙区制度復活を公約とする政党の誕生を願う
自主憲法制定を党是として発足したのが自由民主党だと理解しているが、政治の現実の世界では変容せざるを得なかったと言わざるを得ないだろう。
その変容自体を批判する気にはならないが、自主憲法制定を訴える立党の精神には現在でも共感することが多い。
今頃自主憲法制定とはなんとまあ古めかしいことだ、などと批判を受けるかも知れないが、自主憲法制定というスローガンには何か人の心を動かすような力があることは確かである。
自分たちの力で新しい国づくりを始めたい、自分たちの力で自分たちの本当の憲法を作りたいという思いは、いつまでも失いたくはないものだ、と思っている。
もっともどういう国づくりが一番いいのか、どういう憲法にするのが一番いいのか、ということはないそう簡単には決められないので、私は「時代に合った新しい憲法を創る」「時代に合った新しい国をみんなで創ろう」ということを訴えたくなる。
なんだ、中身がないじゃないか、などと言われてしまうだろうが、大事なことは、これからみんなでより良い国を作っていきましょう、みんなの力で新しい憲法を創りましょう、ということだ。
そのために、今の選挙制度を変える必要がありそうだ、というのが私の感想である。
小選挙区制の弊害あれこれ
かつてと比べれば、金権まみれの人はいなくなったんじゃないかなと思っている。
中選挙区制の時代の選挙区はとにかく金がかかったと聞いているので、選挙にそうそう金がかからなくなったというのは、政治に夢を持っておられる方々にとってはいいことである。
私も中選挙区制の時代であれば国政選挙に挑戦しようとなど考えなかっただろう。
いくら憧れがあっても、先立つものがなければ立候補は出来ない。
地盤、看板、鞄なしでの国政挑戦は無謀以外の何者でもない。
中選挙区制から小選挙区制に移行して最初の衆議院議員選挙に私が自民党の公認を得て立候補することになったのは、現職の衆議院議員がいる選挙区に新人が挑戦しようとしてもまず当選する可能性がないと大方の人が知ってからである。
そういう選挙だからこそ、地元出身でなく、地元に知人、友人、親戚もいない私が自民党の公認候補として衆議院議員選挙に挑戦することになった。
そういう意味では小選挙区制選挙だから私に国政挑戦のチャンスが巡ってきたと言っていいだろう。
もっとも、こういう状態で新人が当選できるはずもなく、選挙の実際に通じた方々は冷ややかに見ておられたはずである。国政選挙に挑戦して3度敗れ、4度目の挑戦でようやく当選を果たしたのだから、若い方々に私と同じような道を歩むようにお勧めすることはとても出来ない。
しかし、それでも若い方々には何とかして政治への道を志していただきたいなあと願っている。
その時にガンとなるのが、現在の小選挙区制度である。
おいおいおい、これでは若い方々の出番がどこにもないじゃないか。
どんなに有能な若い人がいても、現職の衆議院議員がいる選挙区では新人が自民党の公認を得て立候補することは出来ない。もっといい候補者がいるんだがなぁ、と思っても、選挙区に空きがないから、本来保守の政治家の人が野党の候補者になるしか立候補のチャンスを掴むことが出来ない。
将来的にはこれが政治家の劣化になるだろうし、いずれは政治そのものの劣化にも繋がるだろうと心配している。
政治資金規正法の改正や公職選挙法の改正で選挙に金が掛かるという中選挙区選挙時代の悪弊は相当解消されてきたと言っていいのではなかろうか。
そろそろ中選挙区制度に戻してみては如何ですか、というのが、私の現時点での率直な感想である。
編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2019年1月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。