有馬純 東京大学公共政策大学院教授
(書評:ディーター・ヘルム「Climate Crunch」)
我が国の環境関係者、マスメディアの間では「欧州は温暖化政策のリーダーであり、欧州を見習うべきだ」という見方が強い。とりわけ福島第一原発事故後は原発をフェーズアウトし、再エネを推進するドイツが理想化されて語られる傾向がある。しかし欧州には「欧州の温暖化政策は根本的に間違っている」という論者もいる。その一人がオックスフォード大のディーター・ヘルム教授である。
彼が2015年に発表した「Carbon Crunch」では欧州のグリーン政党、環境NGOや彼らが主導してきた欧州の温暖化政策に対する歯に衣着せぬ批判が展開されており、非常に興味深い。ヘルム教授が同書で展開している議論のエッセンスは以下のとおりである。
- 気候変動の科学には不確実性がある。環境NGOや気候学者がアルマゲドンを殊更に煽り、自分たちの見解に賛同しない人を「気候懐疑派」と決めつけてきたことも気候科学への信頼を損なう結果となっている。
- とはいえ、温度上昇をこのまま放置しておけば将来に禍根を残すため、温暖化防止は必要である。
- 気候変動枠組み条約が成立して25年経つが、温暖化防止対策はほとんど効果を生んでこなかった。特に温暖化防止のリーダーを自任する欧州の政策は全く間違っている。温室効果ガス削減と経済成長を同時に達成したと称しているが、これはエネルギー多消費産業が海外移転して脱工業化が進んだだけのことであり、生産ベースのCO2は減少しても輸入を含めた消費ベースのCO2はむしろ増大している。
- 欧州のグリーン政党、環境NGOは反ビジネス、反資本主義であり、政府介入論者、原理主義的平等論者であることが多く、社会主義的である。彼らはイデオロギー的に原子力やシェールガスを排除する一方、再エネと省エネという特定技術のみを推奨している。しかし政府はpicking winner に失敗するのが常である。
- 再エネ補助金は膨大なコスト負担を強いている一方、効果は非常に小さい。補助金政策は既得権益を享受する産業のロビイングによって永続化しやすい。再エネの強制買取の結果、EU-ETSの機能不全、炭素価格暴落を招き、結果的に石炭火力の新設、延命を助けている。欧州の高コストの温暖化政策はエネルギーコストを上昇させ、米国との関係で欧州産業の国際競争力を損なう一方、地球レベルの排出削減には何ら貢献していない。
- 環境主義者は化石燃料が今後希少化し、コストが上昇することを所与の前提として現在の再エネ補助金を正当化しているが、シェールガス革命によって世界のエネルギー情勢は変わった。化石燃料価格は高騰するどころか、むしろ低下する可能性が高い。現在の再エネ補助が高コストであっても将来的にはPAY OFF するという政治家の議論は詐欺的であり、国民の温暖化政策に対する不信感を高めることになる。
- 省エネに対する期待が高いが、エネルギー効率の上昇は必ずしもエネルギー消費減少にはつながらない。省エネは有益ではあるが、気候変動防止のカギにはならない。
- 京都議定書は何の役にも立たなかった。コペンハーゲン合意は拘束力が弱く実効性を持たない。温暖化問題には「囚人のジレンマ」が内在し、将来にわたって強力な国際レジームができるとは考えられない。現在交渉中のパリ協定もコペンハーゲン合意と同じようなものになるだろう(筆者注:本書執筆時点ではパリ協定はできていない)
- 世界のCO2排出増の相当部分は石炭火力の拡大が原因である。シェールガス革命により天然ガスが安価になっているのだから、石炭から天然ガスへの転換を推進すべきである。これは再エネ推進に比してはるかに低コストの施策であり、将来技術が実用化するまでの「つなぎ」になる。
- 温暖化防止を目指すならばカーボンプライシングが有効である。カーボンプライシングの方法としてはグランドファザリングを伴うキャップ&トレード、炭素税の2つがあるが、EU-ETSの事例にみられるようにキャップ&トレードは炭素価格の変動を伴うため、低炭素投資のインセンティブにならない。石炭と天然ガスの相対関係を逆転する程度の炭素税を導入し、徐々に引き上げていくことが最も合理的である。課税方法としては化石燃料に課税する上流課税が最も効率的である。
- カーボンリーケージを防ぐためには国内の生産ベースCO2のみならず、国境措置を通じて輸入品に体化されたCO2も課税対象とするべきである。輸入品に体化されたCO2含有量を計算することは技術的に煩雑であるが、次善の策として標準的なエネルギー集約度と輸出国のエネルギー構成(電源構成)から推計すればよい。「国境措置は保護主義的である」との批判があるが、本来課税すべき輸入CO2に課税していないことの方がおかしい。「WTO違反」との意見もあるが、WTOは環境保護目的の国境調整措置を否定しておらず、必要があればWTO規定を見直すべきである。国境措置を講ずることにより、輸出国は輸入国に税金をとられるくらいならば自国でカーボンプライシングを導入することを選ぶようになり、国際的な広がりができる。
- 温暖化問題を究極的に解決するためにはカーボンプライシングでは不十分であり、イノベーションが不可欠である。気候変動に回せる資金量には限りがあり、現在の再エネ技術に膨大な補助金を投入することは将来技術のR&Dに回るべき資金を犠牲にしていることを意味する。資金リソースの配分を抜本的に見直すべきである。
- 温暖化対策がコスト負担を伴わずにできるような議論はファンタジーである。温暖化対策は痛みを伴うことを直視しなければならない。そして温暖化対策のコストは消費者にとって負担可能なものでなければならない。
筆者は多くの点でヘルム教授の議論に賛成である。特に「温暖化対策をすれば経済も伸び、雇用も拡大し、コストは微々たるものだ」という議論については「そんなうまい話が転がっているならば温暖化問題がかくも進行するはずがない」と常々思ってきただけに、ヘルム教授の明快な議論を読んで「我が意を得たり」と感じた。また資金リソースに限りがある中で既存再エネへの巨額な補助金を垂れ流すよりも、温暖化問題の根本的な解決につながる将来技術へのR&Dに投資すべきであるという主張も理にかなっていると思う。特に彼が強く批判しているドイツにならってFITを導入し、補助コストが膨張している日本にとっても他人事ではない。
他方で全面的に賛同できない部分もある。石炭から天然ガスへの転換は欧州では容易かもしれないが、これから経済発展するアジア途上国にとって国内に潤沢に存在する石炭と輸入LNGを比較すれば前者のほうがどうしても安い。彼が正しく指摘するように「温暖化対策は消費者にとって支払い可能なものでなければならない」以上、アジア諸国の国民が天然ガスへの転換による追加コストをどの程度負担する意思があるかは簡単な問題ではない。
また温暖化対策を費用対効果的に行うためにカーボンプライシングを導入するのが合理的であり、カーボンリーケージを防ぐために国境調整措置を導入すべきだとの議論は経済学者として理にかなっているが、現実はそれほど簡単ではない。国内のCO2排出については化石燃料への上流課税で網羅的に補足する一方、輸入品に体化されたCO2については標準的なエネルギー原単位と輸出国のエネルギー構成から推計というのは余りにも杜撰であり、過剰課税、過小課税になる可能性が高い。また「WTOの規定を見直し、国境調整をできるようにすべきだ」というが、そうした見直しにはエネルギー供給の炭素集約度の高い中国、インド等が真っ先に強く反対するだろう。更に米国を相手にEUが一方的に国境調整措置を導入すれば、貿易戦争の引き金を引くことになろう。有効な国境措置を講ずることに限界があるとすれば、国内のカーボンプライシングも国際競争力に悪影響が出ない水準にとどめざるを得なくなるのではないか。
とはいえ、全体としてヘルム教授の議論は明快かつ論理的であり、教条的な環境至上主義に辟易してきた身としては爽快ですらある。温暖化問題に関心のある方にはぜひお薦めしたい一冊である。