衣料通販サイト「ゾゾタウン」を運営するZOZO(ゾゾ)が業績予想を下方修正して、上場来初の減益予測とのこと。ゾゾスーツが期待ほどうまくいっていなかったり、アパレル大手のオンワードがゾゾタウンからの撤退を表明するなど、確かに本業でちょっと心配なニュースが続いている。
テレビやツイッターで毎日のように興行される前澤劇場と同時並行での出来事だけに、世間の関心も高いようだ。
確かにツッコミどころ満載の前澤社長
“出る杭が打たれるなら、出過ぎてやろう”と言明する前澤社長、確かに心配になるほどツッコミどころ満載である。
非常に厳しく批判する声も多く、その理屈ももっともだったりする。
私自身が一番驚いてしまうのは、個人資産が原資とはいえ、贅沢や散財を誇示する姿だ。
広告の仕事の中で多くのオーナー企業経営者と接してきたが、その企業が成功していればしているほど、上場していたり売り上げが兆円という企業のトップであればあるほど、奢侈ととられるような姿を、世間や銀行、取引先、メディア、何より社員に見られることを嫌う。
例えばこちらから会食ひとつセッティングするとしても、場所の設定や案内の仕方にも万全の気遣いできないと彼らとはお付き合いできない。いかに世間が嫉妬深く、業績も良い時ばかりでなく、経営者にとってアゲンストの環境がいかに厳しいものかを熟知しているのである(以て瞑すべし、ゴーン氏の奈落)。
その点、この破天荒とも言える前澤社長の贅沢アピールは、どこぞのユーチューバーの散財企画のようで子供じみてさえいる。
正直、前澤社長を心配したり非難する記事を書こうと思えば、私とて書きたい要素は他にも多々ある。
しかし、世の中の出来事は諸事単純、一面的ではないと考える。バッシングの囃し声に唱和するのは性に合わないし、世の中を良くするとも思えない。
経営者は物事を実践するリアリスト。前澤社長のセンスが光る部分。
私が、経営者としての前澤社長の施策で一番共感するのは、千葉県幕張に本社を置き、社員に幕張在住手当を手厚く出すなど、非都心での職住近接の推進である。
たかだかオフィスの場所などとないがしろにするなかれ、多くの大企業が立地する東京都心部に通勤するための通勤電車という地獄の惨状は、昭和の時代と実はあまり変わっていない。いや、各電鉄の相互乗り入れが増えた分、路線によってはダイヤの乱れが常態化している場合もあり、非人道的で殺伐とした状況はとても世界最先端都市などと呼べる代物ではない。
解決する見込みがないと諦めの境地なのか、あまりにも日常的なために受け入れてしまったのかは分からないが、もはや誰も問題にしない。大企業のサラリーマン経営者たちは、自分がストイック王のたたき上げであることも往々にしてあり、社員の通勤地獄を生暖かく見守るのみだ。
今どき、東京のど真ん中にオフィスがあることが必須である事業など、そんなに多くはないはずなのだが。
学生の頃、通勤に疲れる父親を見てサラリーマンはいやだと道を決めた前澤氏の感性は、この点で一貫している。少なくとも、彼は千人近い雇用を作り、その社員が過酷な通勤地獄にさらされにくい環境は提供しているわけである。
この身近過ぎる大問題について、選挙戦を戦うための空手形として利用した某都知事は、結局は本気でこれを解決する気力も能力もなかったようである。まして前澤氏を舌鋒鋭く非難する諸氏が、通勤地獄解決に一肌脱いでくれるわけもない。
その点少なくとも前澤社長は、自分が率いる企業においては、彼なりの取り組みを通してより良き働き方や生産性の仮説を実践しているのである。地域社会への貢献は言わずもがなだし、今時都心オフィスにこだわる経営者の思考停止や勤労者への問題提議にもなっているのである。
私は、この一点だけを見ても彼の経営者としての“実”はあると感じるのである。
(そういえば前澤氏、早稲田“実”業だった。)
キッザニアで感じる、子供たちが「職業」や「会社」に抱く夢
さて、少し話はそれるが、皆さんはキッザニアをご存じだろうか。館内は全日空や資生堂など、名だたる企業提供の職業体験アトラクションにチャレンジする子供たちの熱気で常に大騒ぎ。
キッザニアのコンセプトは以下のとおり(出典:キッザニアホームページ)。
キッザニアは、こども達が大人になりきって好きな仕事やサービスを体験できる、こどもが主役の街です。楽しみながら社会のしくみを学ぶことができる「エデュテインメント」*がコンセプトです。
※エデュテインメント=楽しむ(エンターテインメント)+学ぶ(エデュケーション)
ここで子供たちの熱狂を見ていると、ついいつも考えてしまう。この子たちが感じている企業や職業に対する夢や興奮を我々大人はどこかに置いてきてしまったのではないだろうかと。
GAFAも、大きな「子供の会社」
“シリコンバレー”という、アメリカのテレビドラマシリーズも面白い。シリコンバレーの元ベンチャーの大企業や、現在進行形のベンチャーの日常をパロディーチックに描いている。
これを見ていると、GAFAがどんな空気感の中で育ったかが、肌感覚で感じられる。
言わば、彼らは”子供の会社”だ。キッザニアで遊ぶ子供の、いい意味で延長線上の勢いで会社を起こしている。
馬鹿馬鹿しいほど未熟で、子供のように騒騒しかったり、あるところで不器用だったり。言わば学生サークルをそのまま会社にしてしまったような会社たちだ。
だが一点、子供じみた生々しい情熱と夢を失っていないというのは、何より羨ましい。
そして、少なくともシリコンバレーでは、基本的には彼らを応援して(まあ利用しても含めて)盛り上げようという社会のコンセンサスに囲まれてもいる。
一方で、日本の企業社会は、ずいぶん“大人”びた会社ばかりになってしまった。
分別と常識、忖度が幅をきかせ、リスクヘッジに日々てんてこ舞いだ。
(そういえば広告代理店にさえ、破天荒をとんと見かけなくなった。)
高度成長期、本田やソニーの伝説的創業のような熱気は、日本では今や歴史の教科書で見かけることのほうが多い出来事だ。
そんな中で、間違いなく前澤社長率いるZOZOは「子供の会社」的気質を持っている。
ユニクロの柳井氏から“おもちゃ”と一喝された“ゾゾスーツ”など、今時どこのアパレル会社で”やってみよう”となるだろうか。案の定結果もひどいものだったが、アップルのジョブスにだって失敗策はあったのだ。娘の名前までつけた”Lisa”はひどい失敗策だったが、その後にマッキントッシュを発売して神話が始まったのだ。
もちろん、“子供の会社”であることが成功の“十分条件”というわけにはいかないだろうが、GAFAのように既成概念にとらわれない革新的発展にチャンスがあるのは、現代においては”子供の会社”的気質をもつ会社ではないだろうか。
前澤社長の子供じみた熱狂に大人びた分別で冷水を浴びせるのは簡単だが、彼の胸に確かに宿っている夢や希望というモチベーションは、今や日本の未来にとって貴重な苗だ。
できるものならば、水をやり、陽をかざし応援する機運のある社会でありたいと考えるのだが、いかがだろうか。
秋月 涼佑(あきづき りょうすけ)
大手広告代理店で外資系クライアント等を担当。現在、独立してブランドプロデューサーとして活動中。