米国出身の日本文学者、ドナルド・キーン氏が24日亡くなった。96歳だった。日本文学が世界で読まれるようになった背景には同氏の功績があったことは疑いない。川端康成や谷崎潤一郎、三島由紀夫ら文壇の大家と交流し、日本文学を英訳して世界に紹介していった。
時事通信のキーン氏の功績を紹介する記事を読みながら、日本人はキーン氏に感謝してもしきれない恩を受けたという思いが湧いてくる。日本語は異国人にとって学ぶにも容易ではない言語だ。その日本語、日本文化にキーン氏は惹かれ、最後は日本国籍を取得し、日本の土になった。
ところで、海外には日本学科を開講している大学がある。そこには現地の教授が学生たちに日本語やその歴史、文化を紹介する一方、現地在住の日本人の先生がその補助をしている。ドイツ語圏最古・最大の総合大学、ウィーン大学にも日本学科がある。
1980年代、90年代にかけ、ウィーン大学日本学科には2人の教授がいた。1人は主任のS教授、もう1人はP教授だ。S教授は授業では日本社会の公害が如何にひどいか、社会の腐敗などを紹介し、日本を厳しく批判していた。一方、P教授は江戸時代の日本文学を紹介していた。
S教授と会見し、日本学科について取材したことがあった。同教授の口からは日本社会、文化の良さについての話は飛び出さなかった。「教授は本当は日本が好きではないのだ」と直感した。好きでもない日本について教授は学生に語っていたのだ。
一方、P教授は日本が大好きで、その文化を学生に伝えたいという思いが強かった。大学の関係者から受講生数を聞いたところ、S教授の講義を聞く学生数は少なく、P教授の講義を受講する学生数の方が圧倒的に多かったことを聞き、納得した。日本学科に籍を置く学生は日本に関心をもち、その言語、文化を学びたいという思いで受講しているのであって、特定の政治思想ではないからだ。
ウィーン大学日本学科は当時、左翼関係者で牛耳られていた。S教授は社会党(現社会民主党)出身の左翼知識人で、奥さんは社会党機関紙の責任者だった、日本学科の関係者には左翼活動家が多かった。彼らの中には日本赤軍と関係を有する者もいた。日本学科が入っている建物に入ると、その壁には安保反対といったパンフレットが至る所に貼ってあった。
日本の大企業は海外の大学の日本学科を支援するためにスポンサーとなるケースが多いが、ウィーン大学の日本学科を支援する日本企業はなかった。ウィーン大学日本学科が日本の左翼活動家の拠点となっていることを知っていたからだ。
日本語、日本文化といった異国の分野に関心をもち、それを学ぶ教授、学生には少なくとも日本に対する関心と愛があると考えるが、ウィーン大学日本学科は例外だった。日本を愛し、その一員となるために国籍を取得し、そして生涯を終えたキーン氏とは180度異なる人々だった。
海外に住む日本人の中にも「日本嫌い」が結構いる。彼らは安倍晋三政権を批判し、現地人に日本の悪口をまき散らす。もちろん、日本人だけではない。ドイツには親北派の韓国人が多く住んでいたが、彼らはソウルの政府を批判し、欧州で北朝鮮とも接触し、密かに訪朝した韓国人もいた。
海外に住む多くの日本人は、母国を誇り、母国の良きニュースが届けば自分のことのように嬉しくなり、悪いニュースが流れてくれば、首を傾げ、懸命に弁明しょうとする。日本に住んでいた時は愛国心とは無縁だったが、海外に住むようになって国のことを思う心が生まれてきた、という日本人が多い。一方、少数派だが、海外に住む日本人の中には、「日本嫌い」がいる。
日本の国内で安倍政権や社会の在り方を批判する国民はいるし、民主主義社会では当然のことだが、海外居住の日本人から「日本嫌い」の声を聞くと、当方などは少々戸惑いを覚える。その「反日」の中に、母国から受け入れられず、追われた者の強烈な恨み、つらみを感じることもある。
異国の日本で日本人以上に日本を愛し、日本の土となったキーン氏には驚きと感動を覚える。同氏の冥福を祈る。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年2月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。