走るのが死ぬほど苦手なのに、フルマラソン走ることになったわけ
ついに当日が来てしまいました。
小学校では足が遅いことでカースト最下位だったこの私が、フルマラソンに。
しかし初フルマラソンにも関わらず、朝から雨ですよ。
ひどい、酷すぎる。
ショーシャンクの空に、じゃないんだから。
これでテンションだだ下がったわけです。
レース中
とにかく寒いわけなんです。
しかし頑張って走ります。
走っていて気づくのが、沿道の応援です。
このクソ寒いのに、見知らぬ僕を応援してくれている!
なんて良い人たちなんだ(涙
今までの赤羽マラソン10キロとか上野の森マラソンハーフでは、無言で土手をいったり来たりし続ける苦行だったり、上野の森では不忍の池を何周もする苦行だったりなんですね。
それに比べると、何と励まされることか。
体の辛さは同じだろうに、全然違うんです。疲れが。
35キロで心折れかけましたが、無事完走できました。最後は変なアドレナリンで、気持ち良くなっていました。
チームで走る
全然違うと言えば、今回1人でエントリーしたんじゃなく、フローレンスの仲間とチャリティランナーというフローレンスに寄付してくれた方々と一緒に走ったんですね。
で、やっぱり1人だったら、マラソンとか出ようとは思わないわけです。大変だし。
でも、仲間たちとLINEとかで励まし合ったり、チャリティランイベントとかで共に汗かいたり、そういうことをすることで、モチベーションを維持できたわけです。
家族の大切さ
途中の門仲でオカンが来てたり、最後の東京駅に姉が来て、なぜか応援しながら何十メートルか並走する、という家族愛をぶつけられて、今まで実家放置気味だったけどごめん、と。
学び
思ったのは、「応援の偉大さ」です。これ、仕事でもそうだよな、と。
自分は走り続けてきた。けれど、沿道の人々みたいに、自分はこれまでの人生で誰かを応援してきたか。
どこかの誰かに応援されただけ、どこかの誰かを応援できたら。
そう思ったのです。
さらには、「『みんな』の力」。
ぶっちゃけ1人では絶対やらなかったし、やってたとしても心折れていました。
仲間たちがいたからこそ、なんです。
よく言うじゃないですか。
「速く行くなら1人で行け。遠くに行くなら、みんなで行け」って。
本当にそうだよな、と思うのです。
マラソンもそうだけど、僕が行きたい場所って、遠く遠く、彼方にあるんです。
それは医療的ケア児が普通の子たちと同じで、何ら制度的差別も不条理も受けない社会であり。
病児保育なんて当たり前のサービス過ぎて無くて困るなんてことは一切ない社会で。
待機児童もワンオペ育児も児童虐待も、全部死語になっている。
そんな遠くに。
というわけで、これからも走っていきましょう。みんなで。
編集部より:この記事は、認定NPO法人フローレンス代表理事、駒崎弘樹氏のブログ 2019年3月4日の投稿を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は駒崎弘樹BLOGをご覧ください。