オーストリアの精神科医、心理学者、ヴィクトール・フランクル( Viktor Emil Frankl、1905~1997年)は、ジークムンド・フロイト(1856~1939年)、アルフレッド・アドラー(1870~1937年)に次いで“第3ウィーン学派”と呼ばれ、ナチスの強制収容所の体験をもとに書いた著書「夜と霧」は日本を含む世界で翻訳され、世界的ベストセラーとなった。独自の実存的心理分析( Existential Analysis )に基づく「ロゴセラピー」は世界的に大きな影響を与えている。
フランクルは、「誰でも人は生きる目的を求めている。心の病はそれが見つからないことから誘発されてくる」と分析する。強制収容所で両親、兄弟、最初の妻を失ったフランクルだが、その人生観は非常に前向きだ。彼の著書「それでも人生にイエスと言う」(Trotzdem Ja zum Leben sagen)やその生き方に接した多くの人々が感動を覚える理由だろう。
フランクルは収容所で明日の命も分からない究極の状況下にありながら、精神分析学者として同胞のユダヤ人の言動ばかりか、ユダヤ人を殺害するナチス軍の兵士の動向まで冷静に観察していることには改めて驚かされた。
フランクルは、同胞のユダヤ人の中でも人生に目標を持っている者は生き延び、そうではない者は死んでいくのを目撃する。「やりかけの研究をどうしてもやり遂げたい」と考える学者や「家族に再会したい」と願うユダヤ人、婚約した相手がいるユダヤ人は厳しい環境下でも生き延びようとしていった。人生の目標をもつことが生きていく上でどれだけ重要かを収容所の中で学んだわけだ。ちなみに、哲学者ニーチェも言っている。なぜ(Warum)生きるのかを知ることは、どのよう(Wie)に生きるか以上に重要だというわけだ。
フランクルは、「ナチ兵士といってもいい人間とそうではない人間がいる」ことを知る。病気のユダヤ人にそっと薬をやる兵士もいる一方、同胞の監視をするユダヤ人の中には兵士以上に厳しく、同胞を殴打するユダヤ人もいた。ナチス関係者から褒美を期待するからだ。フランクルは「人がどこに所属しているかは重要ではない。人間を白、黒で評価することは間違いだ」ということを学ぶ。
ユダヤ人が強制収容所で最も好んで話すテーマは「最も好きな食べ物は何」という。「あれが食べたい」、「自分はあれが好きだ」といった類の話だ。収容所では一日一食、薄いスープとパン一切れだった。それで激しい労働にも耐えなければならなかった。
食事の時、スープを入れてくれる係の兵士の前に並ぶ。機械的にスープを入れる兵士もいたが、自分の気にいったユダヤ人には大きなスープ鍋の底をスプーンでかき回してから入れてくれる兵士がいた。鍋の底に沈んでいる僅かばかりのジャガイモや野菜が入るためだ。
ところで、時事通信がハノイ発AFP電で興味深い記事を配信していた。トランプ米大統領と金正恩朝鮮労働党委員長の第2回米朝首脳会談の初日の夕食会で出されたステーキの話だ。
会場の老舗ホテル「ソフィテル・レジェンド・メトロポール・ハノイ」のポール・スマート総料理長によると、「正恩氏はミディアムレアからベリーレア」「トランプ氏はウェルダン」と焼き具合を注文した。そして、北朝鮮の専属料理人2人から聞いた話として、「金正恩氏は食材の質にこだわり、キャビア、ロブスター、フォアグラなど高級食材を好み、食い道楽だ」というのだ。
トランプ氏と金正恩氏のステーキの焼き具合の違いについて、フランクルならどのように精神分析するだろうか、と考えた。トランプ氏と金正恩氏との間では年齢が違う。35歳の金正恩氏が好む「血の滴るベリーレアのステーキ」を72歳のトランプ氏はもはや食べれないだろう。焼き具合の違いは、両者の精神的な世界によるというより、肉体的な年齢差によるものだろう。
当方が強い関心をもったのは、「金正恩氏は食材の質にこだわり、キャビア、ロブスター、フォアグラなど高級食材を好み、食い道楽だ」という点だ。国民の大多数が3食も食べれず、飢餓に苦しんでいる国の指導者が「キャビア、ロブスター、フォアグラを好む」というのだ。「金正恩氏はどのような精神状況か」を考えた。
そこでフランクルに代わって当方が金正恩氏の精神分析を試みた。①金正恩氏は国民の食糧事情を全く知らない。生来の王宮育ちの独裁者、②金正恩氏は美味しいものが大好きな食欲旺盛な若者。国民の食糧事情は知っているが、食欲はそれを上回る ③「血の滴るステーキを食べ、キャビアやロブスターに舌鼓を打ちながら、欧州から取り寄せたワインを飲むことを楽しむ根っからの享楽主義者、国民の食糧事情には全く関心がない、等の3通りが考えられる。
最後に、もう少し金正恩氏の精神世界を覗く。フランクル流に分析すれば、金正恩氏はどのように生きていくかはよく知っているが、なぜ生きるのか、人生の目的が掴めずに苦闘しているのではないか。独裁者の金正恩氏は気に食わない側近がいたらいつでも粛清でき、食べたいものがあればいつでも取り寄せることができるが、彼の内面はそれでは満足しない。人生の究極の目的が掴めないからだ。
だから、タバコを吸い、世界から高級食材と取り寄せ、食べる。体重は限りなく増えるが、人生の目的は分からないから、その言動は野性的で、時には暴発する。朝鮮半島の本当の危機は、米朝間の非核化交渉が停滞していることにあるのではなく、金正恩氏が「人生の目的」を掴めないことだ、と分析できるわけだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年3月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。