世界で政治が極端になってきた気がします。アメリカは共和と民主の戦いが国を二分化するほどの威力を見せています。カナダでも秋の総選挙を前に首相の司法介入疑惑事件で与野党が逆転する公算が出てきています。政権交代が引き起こす住民生活への影響は計り知れないものがあります。
ここBC州で2017年に政権交代があった際、様々なルールが一夜にして変わりました。中道左派政権になって健康保険料が半額になったり有料道路が無料になったりバラマキを感じる内容があると思えば、交通渋滞のネックになっていたトンネルの代替工事をゼロから見直すとするなど今までのシナリオが全部変わりました。
何故、政権交代に至ったのでしょうか?人々は本当にそこまで変わることを求めていたのではなく案外、世論に流されているように感じます。オバマ前大統領の時代が良かったか悪かったか、それは一言では評せるものではありません。オバマケアを作ったのはよくやったと思いますが、外交は下手でした。つまり数ある政策をずらっと並べるとどんな人もこれは〇これは×といった評価があるはずで全部〇ないし、全部×がつくことはあまりないでしょう。トランプ大統領も同様です。どれだけ個人的にヘイトしている人でもこの評価書をお願いすれば〇×が混在することになるはずです。
ところが選挙がある意味テクニカルになってきました。選挙民をその気にさせるか、ありとあらゆる手を駆使します。×をどうやってふやすか、そしてそれを如何に目立たせるか、そこに集中します。相手の〇をほめる候補者など一人もいないでしょう。つまりけなしあいそのものなのです。
その死闘から生まれた結果が果たして住民にとってどれだけプラスになるのか、これは案外、二の次になっています。
日本では郵政民営化を争点とした国政選挙を小泉元首相が打って出たのが印象的ですが、その後、焦点を絞った選挙は多数ありました。特に原発を争点にしたものは数多くあり、それが県民感情を二分したケースもあります。
今回の大阪W選挙も誰のための選挙といえば維新のためであり、松井知事の公約というある意味、お約束を果たすためのかなり無理強いな選挙に感じます。2015年の住民投票で僅差とはいえ、いったん敗れている中、この4年の間に本件に関してどれだけファンダメンタルな要件が変わったのか、これは外にいるせいかもしれませんが、わかりにくい気がします。
英国のメイ首相がEU離脱に関して「再度国民投票を」という多くの声に対して「一度決めたこと」ときっぱり、その道を閉ざし続けています。これは2016年6月の投票でしたからメイ首相にとってはそれから何が変わったのか、と突っぱね続けているのでしょう。個人的には国民投票の際に国民がどれだけ長所短所を理解していたか疑問ですし、あれから3年近く嫌というほど議論を見聞きした中であの時の投票を後悔している、と思っている人もいるでしょう。その点においてメイ首相は厳しい立場です。「あなたたちが選んだ道です」と。
大阪の場合、「勝ち取るまで何度でも挑戦する」という意気込みは理解します。しかし、それでは負けがないのです。一度でも勝ち、大阪都構想が住民により承諾されるまで否が応でもチャレンジするのです。沖縄の辺野古移設反対運動も同じです。それを阻止するまでは何度でもしつこく戦うことができます。
ここが私には理解しにくいところであります。フローチャートでNOを選んでも最終的に全部YESに到達するようなものはありません。が、昨今の選挙はYESに到達させるための道筋をどう歩むか、ということではないでしょうか?
変化があることは構いません。しかし、日本は歴史的に見て極端に変わることは我々が知る範囲では二度しかありませんでした。明治維新と終戦です。ともに外からの力が変化をもたらしました。
それ以外は変わりにくい、というのが私の理解です。安倍首相がアベノミクスの三本目の矢、構造改革に取り組んでいたはずですが、最近はその言葉すら聞くことはありません。もちろん、まだ道半ばです。変わりにくい国が故に変えるために何度でも挑戦するということならそれはそれで構いません。住民がその変化に十分対応でき、その心構えさえできていればよいのです。
英国については明らかに国民投票を急ぎすぎました。大阪については2015年からどれだけ議論が進んだのか、むしろそれは大阪にお住まいの方が一番よくご存知でしょう。外にいる私には党利党略にしか見えませんが。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年3月11日の記事より転載させていただきました。