脱メモのすすめ

拙著『逆境を生き抜く名経営者、先哲の箴言』の「第一章 逆境を生き抜いてきた名経営者の知恵と胆力」で、イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊さんを御紹介しました。私が伊藤さんに何時も感心していたこととして、嘗てのブログ『基本の徹底と変化への対応~私が「セブンイレブンに学ぶこと」~』の中で、次の通り述べました。

――例えば私が野村證券時代にニューヨークで勤務していた時も、伊藤さんは訪米後すぐに様々な小売店の見学に向かわれ、そこで色々なものを見て勉強したこと全てを紙にメモされるといった具合で、常に紙を持ち歩き全部メモ書きして行くという、ある意味恐ろしい程の学びの姿勢を有する人が伊藤雅俊という御方です。

メモを取る・取らないは、夫々の自分に合った記憶の仕方と関連していると思います。伊藤さんの如くメモを取るのであれば、自分が重要だと選別した上でそれをメモにし、そのメモを始終見て行くことが大事です。メモを取っているだけで後に殆ど見ないのであれば、メモは取らずそれを覚えようとすべきであって、却ってその方が頭の中に残るのではないかと思います。

私自身はと言うと、昔から今日に至るまで手帳やメモ帳等を持つことはなく、全て頭の中で処理してきました。要は何もかも覚えようとするのでなく、その時々で「覚えておくもの、覚えておく必要のないもの」を峻別し、更には覚えておくことが暫くの間は必要だとか、「長期で必要だと思えるもの、長期では別に必要ないと思えるもの」といった形で整理し、その上で記憶して行くわけです。

「これは覚えておかないと。後で必ず見よう」と思い溜めてきたデータやペーパーを1、2年後に振り返って見た時に、その時点で大体が覚えておく意味が無かったものになっていた、という経験をされた人は多くおられるのではないでしょうか。大概はメモを取るのでなく、それを心に留めその時々で頭の中に入れようと努力をする方が身に付く(…知識・習慣・技術などが、自分自身のものとなる)ような気がします。こうした仕方は訓練すれば出来ることで、メモに頼らねば自然とそういう風になるものです。

私はまた、本を読む場合でも読書ノートの類は作りません。「なるほど」と思う箇所のメモを取っても、それで終わっては何にもなりません。「じゃあ、自分はどうするのか」が、なければいけません。ですから私は、今よりベターな自分になるべく出来ることを決めて、行動に移すようにしています。即ち、知行合一(ちぎょうごういつ、ちこうごういつ)であります。

書物から感銘を受け、多くの知識を得てメモしておいたとしても、その内容を自分自身が消化し体得しなければ意味がないと思います。陽明学の祖・王陽明の『伝習録』に「知は行の始めなり。行は知の成るなり」とある通り、知と行とが一体になる知行合一でなくして真理には達し得ないのです。見識(…知識を踏まえ善悪の判断ができるようになった状態)に勇気ある行動力が加わって初めて、胆識(…胆力のある見識)になるのです。

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