会社は誰のもの?というテーマの答えはもう出ているだろう、と言われるかもしれないし、いやいや、時代とともにその定義は変わるのだ、と言われる方もいるでしょう。
会社を運営するドライバー席に座るのは社長であります。その運転テクニックが上手ければ従業員もハッピーだし、株主もハッピーであります。こう見ると運転手が一番偉そうに見えますが、「おまえの運転が下手ならいつでも代わりはいるのだからな」と監視の目を光らせているのが株主であります。
今、住宅設備機器の大手、LIXIL社で創業家出身の潮田洋一郎氏の作法に注目が集まっています。潮田氏は一線を退き、シンガポールから創業家として同社を遠隔操作してきました。GEでの経験を通じてプロ経営者と言われた藤森義明氏を社長に招くもののドイツ、グローエ社買収の際にその中国子会社の不正会計を見抜けず、責任を取らせました。その次に資材のMonotaRO社の瀬戸欣哉氏をやはりプロ経営者として招聘します。しかし、週刊誌ネタのなるほどのひどい解任、それに合わせて社外取締役だった山梨広一氏の社長及び潮田氏自身の会長兼CEO就任を発表しました。これが株主の逆鱗に触れているのであります。
優秀と言われる二人の経営者をあっさり首切り、自分の意のままに大企業を動かしていることにガバナンスがないと怒りの声が上がったのです。もちろん、潮田氏が大株主で会社を支配する立場なら別ですが、氏は3%しか持ち合わせていません。これではほかの大株主が怒るのも無理がありません。
つまり会社は誰のもの、といった時、潮田氏は創業家としてのふるまいをし、97%の他の株主とこれから対峙しなくてはいけなくなったのです。創業家の反逆といえば出光が昭和石油と合併話が出た際に出光創業家が社風を盾にその合併を長く、認めなかったことがあります。結局、このバトルも終わり、無事、4月に合併することになるのですが、創業家の思いと影響力は必ずしも一致しないのかもしれません。
これが創業者なら別です。例えばビルゲイツ氏であるとか、ウォレンバフェット氏であれば一線から引いていても相当の影響力はあるでしょうけれど創業家、つまり、オリジナルではない家族、親族のパワーは時代とともに薄れていると考えた方がよさそうです。
私の知るある会社のケースです。倒産しそうな会社を買収、立て直し立派な会社にされた方がお亡くなりになり、親族の方が代表を引き継ぎました。ところがその方は業界も知らず、海外で仕事をしたこともなく、英語もできません。私としては心配でこの新社長に2度ほどお目にかかってやんわりと助言をさせていただいたのですが、聞く耳を持って貰えていません。
非上場の会社の社長のポジションは絶対安泰かといえばそんなことは全くありません。ドライバー席の社長の運転が下手なら株主が代えるぞ、ということを上述しました。しかし、従業員が声を上げることもできるのです。その会社が今後、どうなるかわかりませんが、「裸の大将」にすることはその気があれば比較的簡単にできます。揺さぶることもできるでしょう。
そしてあまりにも運転が下手ならばそれ以前にクライアントがそっぽを向き、会社として存続が不可能になることもあり得るでしょう。
北米流にいえば会社の所有権は株主にあるでしょう。そしてその権力は非常に強いものがあります。しかし、会社とは従業員と顧客がいてこそ成り立つのも事実です。
日産のガバナンスが注目されています。経営陣はゴーン氏を追い落とし、フランスの会社にならないようにするために必死の対策を取りました。しかし、その間、顧客が求めるクルマ作りはすっかり抜け落ちてしまいました。北米では「値引きの日産」で名が通っていますが、それでもほしいクルマが少なくなっています。経営バトルをしている間に顧客が逃げつつある、というのが現状です。
伊藤忠とデサントのバトルも経営権をめぐるバトルとしては好例であったと思います。デサントがあまりに韓国での売り上げに偏り過ぎていてそれを不満に思う伊藤忠の敵対的TOBでデサントを屈服させ、デサントの社長以下ほとんどの現経営陣は退陣を発表しています。しかし、今後の立て直しは容易ではないと思います。株主としての力技としては横綱と平幕の戦いでしたから初めから勝負はついていました。しかし、この戦いが果たして株主、経営陣、従業員、そして顧客層に満足しうるものだったか、禍根を残さなければよいと思っています。
会社は誰のもの、という時、株主と経営陣の力づくの戦いがどうしても注目されてしまいますが果たしてそれが全てを解決するのか、最近の様々な事例からこの問題は新たなイシューとして持ち上がってくるような気も致します。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年3月29日の記事より転載させていただきました。