日本の近代史において明治と昭和は長かったこともありますが、時代の大きな節目にあったことで日本にとって大きな意味をもつ時代でした。ゼロから生み出す新しさを両時代に経験しています。
では平成はどうだったのでしょうか?これも長い時代だったと同時にゼロからやり直した時代だったとご意見される方も多いのではないでしょうか?私だってその一人かもしれません。勤めている会社がなくなり、予期していたとはいえ、いざそうなるとそれまで空回りしていた将来への展望が明日の生活という焦りに変わり、人間こんなに変われるのか、というほど刺激ある時を過ごしました。
開国と戦争という刺激は外部との関係により起きた衝撃でしたが、バブル崩壊は日本国内の問題にあったと思います。もちろん、その当時から世界経済の中の日本という見方はあったにせよ、バブルそのものは日本独特の歩みであったと断言してもよいでしょう。
それは奢りと緩みが生んだ国民総ジュリアナ状態だったと思います。ちょうど30年前の今頃、私は六本木の飲み屋でバカ騒ぎをして夜中の1時ごろ、10000円札をひらひらさせながらタクシーを捉まえ、なんと自分の名刺で会社へのツケで帰宅していました。まだパリパリの20代の頃です。(タクシー券が切れて名刺で乗るという裏技を使っていた人はさすが少ないと思います。)
不動産本部にいた際、私は本社の登録宅建主任者でした。部長からは大型案件に集中するように、というお達しがあったのですが、ファックスには出入り業者から出物物件の売買情報が次々入ってきます。ある時、これは、と思われる40億円ほどの物件があり、そういう物件を探していた業者に「これどう?」と回したところ、ビンゴで纏まってしまいました。
契約直前に部長に恐る恐る「すみません、仲介ができちゃいました」と報告したところ、「お前、今、何月か知っているか?」「はい、10月です。」「決算までは6カ月だな」と言うなり、部員20数名をおもむろに集め、「おい、これから3月末までの間、社費で飲み放題、ツケはこいつに全部回せ!」とお達しが出ました。部長が一言、「会社の電話代だけで経費ゼロ、粗利100%の報告なんて会社にできるわけないだろう」。今の時代ではありえない話だったと思います。
そのピークが昭和の終わりであり、平成の始まりでした。まさに縮む社会、これが20年以上続くわけです。不動産価格は地方の住宅地はいまだに下がり止まらないところもあります。ゴルフ場会員権も絵画もその価値は消えていきます。昭和の時代に買ったゴルフセットはいつの間にか物置でさび付いた状態で放置、という方も多いでしょう。
その間、2000年初頭にドットコムバブルがありました。バブルの少年時代を過ごし、親からおいしいものを食べさせたもらった世代が育ち、コンピューター時代の幕開けとともに自分たちの時代をつくろうとしました。「ようこそ、ミニバブルに」とも言われました。しかし、ほとんどの人たちが下向きの中、一部のドットコム世代がMBAという称号を胸に、上り詰めようとする中、出る杭が次々打たれました。底なし沼に住むゾンビが足を引っ張り、沼に引きずり込むようなそんな時代でした。
俺も苦しいんだからお前も苦しめ、お前だけ楽をするのはずるい、これが平成だったと思います。
ただ、2012年末からようやくそのオカルトチックな時代にさよならを言える時がやってきた気がします。安倍政権は歴史的にみればよい時に成立したと思っています。それはバブル時代のあのゾンビたちが現役を引退し、企業はバブルの清算を済ませ、沼の水はきれいになり、泳げるようになった、と例えたらどうでしょうか?
何故、平成時代はもがいたか、私の思うところは一億総中流が崩れ、努力する者が報われる時代がやってきたことに皆、なかなか気が付かなかった、ということではないでしょうか?企業の組合は形骸化し、経営陣となれ合いの「満額回答」ばかりでした。だれも守ってくれない、なのになぜ、自分だけドツボのハマるのか、とうめきを上げていたその時代のギャップが取れるのに30年かかったのではないでしょうか?
平成という時代は日本の歴史の中で実にユニーク、かつ、奥深い時でした。あとひと月。温かい日差しの中、桜を見ながらふとそんなことを考えてみるには絶好の機会ではないでしょうか?
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年4月1日の記事より転載させていただきました。