本土と沖縄の分断につながる沖縄県民批判はやめよ --- 知念 章

寄稿

2019年(平成31年)2月に行われた辺野古埋立ての賛否を問う県民投票では「投票した7割が反対票」を投じた。県内メディアはこの数字を大々的に報道し、大勝利の印象操作を行った。国際関係ジャーナリストの北野幸伯氏は自身のメルマガで県民投票のこの数字を根拠に沖縄県民を批判した。

辺野古基地近くの米軍施設前での反対運動(昨年9月、編集部撮影)

沖縄県民が知らない米軍の撤退後に待ち受ける恐ろしい現実(MAG2NEWS)

沖縄県民に読んでほしい。中国に支配された地域の信じがたい現実(MAG2NEWS)

彼の記事を要約すると以下の通りである。沖縄から米軍が出て行くと、フィリピンやベトナムのように中国の人民解放軍がやってくる。中国に支配されるとチベットやウィグルのようにひどいことになる。基地反対票が多数になるなんて沖縄県民はわかっているのか。沖縄県も米軍基地を全面撤去しようとしている。けしからん。平和ボケしている。

失礼ながら筆者には彼の記事は沖縄の現状を知らない人間が書いた空理空論にしか読めない。恐らく沖縄に来て取材をして書いた文章は一行もないのだろう。ひとつずつみていこう。

第一に2月の県民投票は法的拘束力がなく基地反対派の単なるパフォーマンスであった。そのため当初は5市町村でボイコットの動きがあった。最終的には全県実施となったが、保守層の間では投票をしない選択をした人も多数に上った。

そのため「投票者の7割が反対」という数字は全く無意味なのだ。沖縄県は県民投票の広報費に1億3248万円を投じたにもかかわらず投票率は52.48%にとどまった。沖縄県民の多くが県民投票が無意味な茶番であることを知っていてしらけていたのだ。

県民投票の結果を受けた県民大会が3月16日に開催された。会場に選ばれたのは新都心公園。集会の場所としては非常に小規模である。世界日報社の豊田剛氏の取材記事によると、参加者は主催者発表で1万人。実数は3500人ほど。前年8月に行われた集会では8万人が集まったことから、主催者発表を元にしても今回は7分の1の規模に縮小されたことになる。

豊田氏がインタビューした北谷町から来たという革新系労組の男性が漏らしたひと言が面白い。彼は「県外からの応援がなく寂しい」と語った。このひと言がすべての事情を物語っているではないか。

すなわち、今回の県民大会は当初から本土からの動員を計画しなかった。そのため選んだのが新都心公園という小規模会場。この姿勢は県民投票が失敗だったと彼ら自身が思っている証拠ではないか。

また、本土からの動員がなければ参加者は7分の1に減った。裏を返せば普段の集会の7分の6は県外からの応援ということになる。これまでも県民大会とは名ばかりの左翼全国大会が沖縄で行われて来たことを図らずも暴露したことになろう。

参加者、前回の7分の1規模に。辺野古移設断念を求める「県民大会」(Viewpoint)

多くの沖縄県民はことのほか冷静だ。市井の名もない何人もの沖縄県民と話をしてみるとこうした事実はすぐにわかることだ。彼らは「琉球独立論」や「親中」は沖縄二紙の中にしか存在しないファンタジーだと理解している。

それが証拠に沖縄県民へのアンケートでは常に独立不支持、中国が嫌いな人が圧倒的多数にのぼる。沖縄二紙が描くファンタジーの数字を根拠に書いた北野氏の記事がいかにナンセンスかということだ。

第二に沖縄県は辺野古埋立てだけではなく米軍そのものを撤退させようとしているという指摘。沖縄県や玉城知事は実はダブルスタンダードだと知らないのだろうか。

彼らは辺野古埋立てには反対しているが、那覇軍港の浦添移設は容認している。辺野古と同じように埋立てを伴う移設なのに、主に経済効果を理由に容認している。普通に考えれば辺野古が反対で浦添が容認される意味は全くわからないだろう。

米軍那覇港湾施設(那覇軍港)、沖縄県サイトより:編集部

さらに浦添軍港は原子力潜水艦、原子力空母も十分接岸可能となる米軍基地の機能強化である。そのうえ嘉手納以南の米軍基地返還の合意にも違反している。それにもかかわらず県、知事、メディアは無反応。非常に不気味だ。結局、米軍基地は安全保障問題ではなく利権がらみの問題なのだろう。辺野古埋立ても本当に阻止できるとは誰も思っていないのだ。

第三に米軍撤退したらすぐに人民解放軍がやってくる。この論理に飛躍を感じないだろうか?沖縄には陸海空の自衛隊が駐屯している。米軍が去っても自衛隊がいる。北野氏は自衛隊の存在を完全無視している。これは日夜、南西方面の防衛に勤しんでいる自衛隊諸君にたいへん失礼ではないか。

米軍が去れば自衛隊が当然配備強化されるべきだ。そのためにもさっさと憲法を改正し国軍へ昇格させるべきだ。自国は自分たちで守る気概が保守の神髄ではないのか。親米べったりの方たちは米軍依存症候群に陥っていないだろうか?

筆者には外国人部隊の駐留をもって抑止力としている方が平和ボケに見えて仕方がない。戦後独立国家となったはずの日本は73年間も外国軍の駐留を許し続けている。今後、子や孫、その先の子々孫々に至るまで米軍の駐留を許し続けるのだろうか?

筆者は日米安保を否定しているわけではない。中国の脅威から国を守るためにも同盟の堅持は必要だ。しかし米軍基地に反対、あるいは基地の整理縮小に賛成することを持ってただちに平和ボケのように沖縄県民を批判することは的を外していると言っているのだ。

歴史に「もし」はないが、もしヒラリー政権が生まれていたら米中が手を結ぶ最悪のシナリオが現実になったかもしれない。米軍は日本にとって獅子身中の虫であることを肝に銘じなければならない。国内に中国の工作員がいるなら米国の工作員がいることは当然想定できることだ。「米軍が駐留していないと日本は守られない」という話は工作員のプロパガンダかもしれない。

いずれにしても米軍基地問題で沖縄県民を批判することは的を外している。国防は国の専権事項だ。本土保守はそう言いながら、なぜか沖縄の地方選挙での投票結果が思わしくないと沖縄県民を批判する。

SNSでも沖縄県民の投票行動が非難される。アイヌ新法の制定や北海道独立を掲げた知事候補を輩出し、彼に約9万6千票も票を投じた北海道民が批判されることはないのに沖縄県民だけが批判される。

結局、本土保守論客も沖縄二紙や左派陣営の本土・沖縄分断工作に引っかかっているのではないか。彼らの土俵に自ら乗っているのだ。

ファンタジー報道を根拠に沖縄県民を十把一絡げにして上から目線で論じないでほしい。沖縄に住み、沖縄を守るために日夜努力している保守層には後ろから鉄砲で撃たれている気になる。

先の沖縄戦では本土から沖縄を守るためにたくさんの兵士が駆けつけてくれた。日本国民が一丸となり沖縄を守るために命をかけてくれたのだ。現代沖縄戦も本土と沖縄が一丸とならなければならない。

安全な場所から沖縄県民を批判するのではなく、できれば移住して参戦してほしいものだ。先人たちはそうしてくれたのだから。

知念 章(ちねん あきら) 護佐丸リラーニングサポート代表
主な著書『基地反対運動は嫌いでも沖縄のことは嫌いにならないでください』(ワニブックPLUS新書)『頭に来てもサヨクとは戦うな』(インプレスR&D)