こんにちは!黒坂岳央(くろさかたけを)です。
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ガールズちゃんねるに「挨拶を無視する人」というスレッドが立ち、1日で700件を超えるコメントが寄せられて盛り上がっています。挨拶をしても返さない人というのは確かに一定数存在します。今回は「挨拶を返さない人との付き合い方」について持論を述べてみます。
挨拶は元々 、自分の命を守る(!?)ため
挨拶というのは全世界、人類全体で共有しているマナーの一つと言えるでしょう。挨拶をする目的とは、「私はあなたに敵意を持っていません」という、意思表示から来ているものと主張する人もいます。つまりは「挨拶をすると気持ちがいいから」といった表層的なものではなく、知らない人同士が鉢合わせると戦いになりうる時代から連綿と続く「自分の命を守るために相手の敵意を解く行為」と言えるのではないでしょうか。
そんな挨拶をまともに返さない、というのは、この人類の築いてきた生存本能を刺激するような行為ですから、無視された側が心身穏やかでいられなくなるのは当然のことなのです。挨拶を軽視している人の心理は「挨拶くらいで騒ぐな」と相場が決まっています。しかし、挨拶の由来が自己防衛反応によるものと理解すれば、意図的に相手を傷つける意図がない限りは「無視するのは摩擦を生み、賢明な選択ではない」ということが理解できるでしょう。
難しいのはその人の意図が見えない点
難しいのは、挨拶を無視するのが意図的か?それとも気づかなかっただけなのか?という判断です。挨拶を返す時も、返さない時もあるということであれば、もしかしたら耳が遠かったり単に気づかなかっただけという可能性があります。しかし、そうではなく完全にその人を無視するつもりというなら、話は変わってきます。同サイト内では、
私今の職場に勤めて8年になるけど、新人だった時からずーっと私のことをシカトし続けてるオバサンがいるよ。
初対面の時から1回も挨拶返してもらえてない。
部署が違うしほとんど関わる機会もないから、べつに嫌われるような理由もないはずなんだけどな。
まぁもうここまで来たら記録更新したいと思ってる。
という人もいて、この事例の相手は、完全に意図的に挨拶を無視しているようです。
人間関係の入り口は挨拶
世の中のすべての人は必ず、他の誰かに依存して生きています。この事実を考えると、自分の利害関係者との軋轢を生むことは、自分にデメリットを生みますからするべきではないことが分かります。そんな人間の相互依存関係を「社会」と呼び、その信頼構築に挨拶が位置づけられることを理解するならば、「人間関係の入り口は挨拶から始まる」といっても過言ではないと考えます。
「挨拶くらい多少返さなくても問題はないだろう」と考えるのは危険です。なぜなら、挨拶は入り口ですから入り口で不快感を与えてしまうと、信頼構築が始まることはないからです。たかが挨拶、されど挨拶です。挨拶を疎かにする人は、結局社会の信用を集めることは出来ません。資本主義経済とは、信用がお金を生み出す社会ですから信用を集めることが出来なければ、経済的にビハインドすることは明白なのです。
あなたとは「仲良くしたくない」というサイン
しかし、同時に社会を生きる上では、すべての人と仲良くする必要がないのもまた事実です。別け隔てなく付き合うのではなく、自分と合う人とだけ付き合う、そのように割り切って生活をしている人もいるでしょう。自分にとって重要でない人物には、挨拶を返さないという行為で「あなたとは仲良くしたくありません」というサインを発すると分析する声も同サイト内に見られました。
しかし、これもあまり勧められる行為ではないと考えます。仲良くしたくない場合でも、挨拶だけは無条件にしておかなければ、「あの人は挨拶ができない」という悪評を立てることになるからです。
「あの人は私への態度がそっけない。どうやら好きではないようだ」
「あの人は私が嫌いなようで挨拶しない」
この2つは同じように聞こえますが、この主張を聞いた人の印象はまったく異なります。前者の主張は「選り好みする人」という印象で済みますが、後者は「社会的不適合者」というレッテルを貼られてしまう可能性があり、そうなると本来仲良くしたいと思っている相手をも遠ざけてしまう可能性があります。
こうした理由により、私は挨拶を侮らない方がいいと考えます。相手が嫌いでもなんでも、とにかく何も考えずに挨拶だけは無難にしておく。これこそが信用社会を生きる上での処世術だと思うのです。
黒坂 岳央
フルーツギフトショップ「水菓子 肥後庵」 代表
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