大津事故:メディアスクラムという寝た子を起こした関西メディア

新田 哲史

大津市で8日、保育園児らを巻き込み、園児2人が亡くなった交通事故は、園長を号泣させた当日の記者会見のあり方が非難を呼ぶなど、メディア側の取材のあり方がクローズアップされている。

NHKニュースより:編集部

筆者の20年近い業界経験を振り返ると、取材上のトラブルが発生した事案で、マスコミが自分たちの取材手法を本格的に点検するには、タイムラグが生じる。しかしネットではすでにメディア非難のオンパレードだ。

反響の大きさを受けて、テレビ局でもテレ朝系のネットテレビ「AbemaTV」では、AbemaPrimeが当夜の放送で出演者が白熱した議論を繰り広げ、これまでと異なる様相も見せた。おそらくマスコミ側の検証までのサイクルが速まるのは間違いない。

筆者も、昨夕の中継はテレビとネットの両方で見たが、園長先生はたちまち泣き崩れてしまい、とてもまともに対応できる精神状態ないことは一目瞭然だった。

マスコミの取材攻勢でやむなく会見開催か?

当初この件で不思議だったのは、記者会見を当日に行うに至った経緯だ。

というのも、マスコミ慣れした公的機関や政治家、大手上場企業であれば、即日の対応は一般的だが、社会福祉法人で人命が失われた事故に即応するだけの広報体制を常備しているところはそうないはずだからだ。

確かに、被害者の保育園を経営する社会福祉士法人「檸檬会」は、サイトによると、全国各地で保育園施設を経営し、職員数1000人規模と業界内では「大手」ではあるようだ。しかし、それでも、自分たちから積極的に当日の会見開催という発想をするような組織には思えなかった。

何より、保育園側は交通法規を守っていた中で事故に巻き込まれた純粋な被害者であり、不祥事の会見と違って園側に無理させる必要は全くなかった。

だから、当日の記者会見は、マスコミ側から強い要請があったか、檸檬会内部で危機管理広報の訓練を受けていたかなど、よほどの事情があったのではないかと推察した。

その後、AbemaPrimeの議論で明らかになった話によると、今回マスコミの取材が関係者に殺到したため、園側がやむなく記者会見を開くに至ったという流れがあったようだ。これが事実であれば、筆者の疑問は氷解するが、同時に、1998年7月の和歌山毒物カレー事件の時に、メディアスクラムに対する社会的非難が高まり、一度は業界内で議論して自主規制に動いた経緯はなんだったのかと言う暗澹たる思いだった。

カレー事件の「教訓」はどこに?

カレー事件は和歌山市内の住宅街の夏祭りでは、カレーを食べた住民67人が亜砒酸による中毒となり、4人が死亡。やがて現場の近隣に住む林真須美(現死刑囚)夫婦に疑惑が向けられると、マスコミの取材合戦がヒートアップ。ニュース番組だけでなくワイドショーも含めて、その4年前に起きたオウム事件を彷彿とさせる「劇場型」の報道が続いた。

狭い住宅地に報道陣が殺到したカレー事件の現場(NHKアーカイブスより)

30代以上のかたは連日連夜の過熱報道を覚えておいでだろう。事件から2年後、読売新聞の和歌山支局に新人として赴任した私は現場を訪れた際、テレビで見ていた時のイメージよりかなり狭い住宅地に、数百人の報道陣が押し寄せていたことに驚いた。

とはいえ、まだ未熟な新人だったので、取材を受ける側の気持ちを思い至る余裕は正直なかった。今思えば、事件当事者はもちろんのこと、それ以外の住民たちの平穏がいかに失われたものか察して余りある。

そして、この事件の過熱報道をきっかけに、我が国で初めて集団的過熱取材(メディアスクラム)の問題がクローズアップされた。今ならネットから激しいマスコミバッシングが起きただろうが、当時はインターネット自体が日本に普及し始めた時代。ネット世論は実質なかった時代だったが、新聞協会などが危機感を抱いたのは、「政治的圧力」がかかったからだ。

そのころは小泉政権の初期だったが、人権擁護法案で、救済対象となる人権侵害の事例として「取材における継続的又は反復的なつきまとい」が一時挙げられた。メディア側は猛反発したが、危機感は大きかっただろう。結局、この時の法案は審議未了で廃案となったが、新聞協会や民放連が自主規制に動いた。新聞協会は2001年、この問題の見解で、取材者が最低限遵守すべきこととして次の3点を挙げている。

1.  いやがる当事者や関係者を集団で強引に包囲した状態での取材は行うべきではない。相手が小学生や幼児の場合は、取材方法に特段の配慮を要する。

2. 通夜葬儀、遺体搬送などを取材する場合、遺族や関係者の心情を踏みにじらないよう十分配慮するとともに、服装や態度などにも留意する。

3. 住宅街や学校、病院など、静穏が求められる場所における取材では、取材車の駐車方法も含め、近隣の交通や静穏を阻害しないよう留意する。

さらに翌年には、取材対象者らの申し立てで、現場で収拾がつかなくなった場合の対策なども取り決められた……はずだった。

大津のケースは、1〜3の事項がどれほど遵守されたのだろうか。保育園の運営法人側としては取材が殺到してしまったため、記者会見でなんとか収めようと苦心したはずだが、会見の開催は本意ではなかった可能性がある。

どちらにせよ、ここでポイントに思うのは、記者会見を強制させるだけの「無言の圧力」を感じるほどの取材マナーだったのかどうかだ。

関西メディアの事件取材への執着・突撃ぶりは凄まじい。初任地が和歌山だった身としては、その後、東京の取材現場と比較した経験からしても、よく言えば熱心、悪く言えばエゲツないところはある。ただ地域性のことに焦点を当ててもこの問題は生産的ではあるまい。

「既視感」の部分と「一変」した部分

今後検証が行われるだろうが、ひとつ確実に言えるのは、カレー事件から20年余り経ち、メディアスクラムが社会的問題になった時の緊張感を覚えている現場の記者たちが世代交代し、教訓が「風化」している可能性はある。

そのことを一層強く感じるのは、今回の舞台となった滋賀県と和歌山県の新聞・テレビの体制が似ているという点にもある。

つまり、関西圏の和歌山や滋賀にはテレビ局の体制も大阪の準キー局が主要拠点で、常駐スタッフはカメラマンなどが点在する程度。新聞も全国紙をしのぐような強い地元紙もなく、大手紙も地方支局があるだけ。首都圏の千葉や埼玉などと同じく、大手メディア的にはいわば「衛星地域」の扱いになっている。新聞社の支局に記事を統括する入社20数年クラスのデスクはいるものの、カレー事件当時は多くが若手。入社10年の中堅クラスだった人もあまりいないはずだ。

いずれにしろ、今回の問題は、在京を含むどこのメディアでも起こり得ることだ。カレー事件当時とはネットも発達してメディア環境も一変してしまっている。関西メディアが「メディアスクラム」という名の寝た子を起こし、再び公的規制の動きが出てくるのか、近年は取材者を拡充しているネット媒体も含めたメディア業界全体に問われている。