デジタル経済時代に重要性を増す独禁法
独占禁止法の重要性がこれまでになく高まっている。デジタル・プラットフォーマーと呼ばれる巨大IT企業への規制の動きが最近盛んに報じられているが、その中心は独禁法だ。オンラインモールやアプリストアにおける取引慣行の実態調査を踏まえて、公正取引委員会は独禁法上の考えを整理するという。
そこで鍵とされている優越的地位濫用規制は、デザイナーやプログラマー、芸能人のような、労働法制が適用されないフリーランス人材との労務契約の不公正さ解消の処方箋としても注目を浴びたばかりである(参照:『人材と競争政策に関する検討会(公正取引委員会)報告書』(2018年2月))。
独禁法は経済的環境の変化に適応し、国際的な競争政策との整合性を図りつつ、これまで改正が重ねられ、進化してきた。主要な独禁法違反に対して課徴金が課されるが、その制度を大きく変えることとなったのは、カルテルや談合等の違反行為を自主申告した企業への課徴金減免制度(リーニエンシー制度)を導入した2005年の独禁法改正だった。その後も、排除型私的独占や優越的地位濫用を含む不公正な取引方法への課徴金の導入や、確約制度の創設など、実体面・手続面の両方で強化、改善がなされてきた。
課徴金制度を機能的に:改正法案のポイント
現在も課徴金制度の根幹にかかわる重要な独禁法改正法案が国会に提出されている。具体的には、
① 課徴金減免申請による課徴金の減免に加えて、新たに事業者が事件の解明に資する資料の提出等をした場合に、公正取引委員会が課徴金の額を減額する仕組み(調査協力減算制度)を導入するとともに、減額対象事業者数の上限を廃止する
② 課徴金の算定基礎の追加や算定期間の延長等、課徴金の算定方法の見直しを行う
③ 検査妨害等の罪に係る法人等に対する罰金の上限額の引上げを行う
といった内容の改正法案が今国会に提出されている。
また、改正後の独禁法の施行に合わせて、外部の弁護士との相談に関する法的意見等についての秘密を実質的に保護することなど、弁護士・依頼者間の秘匿特権への対応についての規則や指針等を整備することとしている。10年以内に違反を繰り返した場合に2度目の違反に対する課徴金を5割増とする累犯加重規定については、現行法では、課徴金納付命令を受けた後の違反でない場合に対してまで加算が適用されるなど、立法の趣旨に反する状況にあるが、改正法案ではこの点の是正も盛り込まれている。
これらの改正内容はいずれも、独禁法の諸規定が抱えていた問題点を見直し、適正手続を確保しつつ、課徴金減免制度をより機能的ならしめるものとして重要なものばかりである。同時に、制裁・措置制度の実効性の面においても、適正手続の面においても、米国やEUといった世界的な標準への一致を目指すものとして、国際的要請の下で日本政府がコミットしたものであるといっても過言ではない。
1977年に課徴金制度が導入された時点では、法人に対する刑事罰と課徴金との併科が憲法上の「二重処罰禁止」規定に抵触するのではないかとの危惧から、課徴金制度は「不当利得の剥奪に過ぎない」と説明されていた。算定率も低い水準に抑えられ、違反抑止の実効性が限定的であったため、適正手続の確保という観点も十分に意識されていなかった。
その後、抑止力強化の観点から課徴金算定率が数次にわたって引き上げられてきたが、それに伴って制度運用の柔軟性や適正手続確保の要請が強まり、改善の方策が模索されてきた。今回の法案は、公正取引委員会の独占禁止法研究会報告書(2017年4月)の提案をベースに、経済界や日弁連など各方面との調整が行われ、与党の了承が得られたことから法案として取りまとめられたものである。
故・保岡元法相の“遺志”、課徴金制度改革の「総仕上げ」へ
自由民主党の独禁法調査会会長を長く務め、独禁法の制度改革に多大な貢献をされた保岡興治元法務大臣が今年4月に逝去された。
課徴金減免制度導入を実現した2005年の独禁法大改正の際、独禁法の制裁・措置制度を研究していた私にも意見を求められたことがあった。まだ駆け出しの経済法学だった私の話に真剣に耳を傾けて下さったことを今でも昨日のことのように覚えている。
憲法上の二重処罰禁止の制約も十分に考慮しつつ課徴金制度の実効性確保の課題に正面から取り組むためには、特に課徴金減免制度の導入をめぐる与野党間の意見対立や経済界との調整といった「難工事」が控えていた。それを乗り切って独禁法の歴史の最も大きな課徴金の制度改正ともいえる2005年の法改正が実現できたのは、保岡元法相の貢献の賜物である。
これによって国内における独禁法のプレゼンスが高まり、日本の競争政策に対する国際的な整合性も飛躍的に向上した。それ以降、数次にわたる改正を経て、現在、国会に提出されている独禁法改正案は、課徴金制度をめぐる一連の改革の「総仕上げ」のようなものである。その制度改正が今、大詰めを迎えようとしていることに保岡元法相の遺志が働いているようにも思える。
政局の都合で廃案なら国益を毀損
しかしながら、今年3月12日に政府法案が閣議決定され、国会に提出されてから二ヶ月が経過しているのに、いまだに、審議は全くされていない。衆議院のサイトを見ても審議入りしたという情報は出てこない。通常国会の会期は6月26日までである。与野党の対立がますます深まり、7月の衆参同時選の可能性も取り沙汰されている。
もとより研究者の私には、国会をめぐる状況の詳細は知る由もないが、経済社会において極めて重要な意義を有する独禁法改正がどうなるかについて非常に気になるところだ。
会期末に向けての与野党の政治的対立の中に独禁法改正が埋没してしまうことはあってはならない。万が一、「審議未了で廃案」というようなことになれば、それは国益を大きく損なうことを意味する。一刻も早く独禁法改正法案の国会での審議が始まり、充実した議論が進むことを望む。
楠 茂樹 上智大学法学部国際関係法学科教授
京都大学博士(法学)。京都大学、京都産業大学法学部専任講師等を経て現職。独占禁止法の措置体系、政府調達制度、経済法の哲学的基礎などを研究。国土交通省「調査・設計等分野における品質確保に関する懇談会」委員、東京都入札監視委員会委員長、総務省予算執行監視チーム構成員をはじめ、全国各地の自治体の委員なども歴任。(2019年5月末現在)。