5月7日のBS-TBS「報道1930」に元ゴールドマン・サックス アナリストで小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏と岡野工業社長の岡野雅行氏が出演していた。
東京下町江戸っ子気質でいつも世の中を鼓舞してくれる岡野社長が健在でうれしかったが、令和になってさえも岡野社長に出張っていただかなければ日本の中小企業に気概ありという部分を表現できないのだとすると、逆に層が薄くなった日本モノづくりの現状を感じさせられもした。
興味深い、アトキンソン氏の賃上げファースト論
そして、いつもながらに興味深かったのはデービッド・アトキンソン氏の主張であった。
給与を上げることから始めて、従業員のモチベーションアップ、生産性向上を図る。結果会社の業績を上げ、さらに給与を上げていく原資を生む好循環を起こす。そして同時に、従業員の消費力が高まることで、国家の景気循環にも好影響を与え、デフレのサイクルを断ち切る。
アトキンソン氏の賃上げファースト論である。この主張、なかなかもっともなものであるのだが、今一つ日本人経営者層の腑に落ちていない感がある。
平成は低成長だったが、平和と安定の時代
日本の平成時代がデフレの時代であったことに異論はないだろう。確かに給与は上がりにくかった。一方で、モノやサービスが総じてリーズナブルだったので、生活実感においては痛痒がなかった。むしろ、奇跡的な生活者天国であったとさえ私は考えている。
(秋月過去記事)「平成の生活者天国が実現した理由、そして終わる理由」
確かに、グローバルな経済やイノベーションのダイナミズムに取り残されつつあるのではないかという危惧はあるが、所詮は日々の生活実感の中では遠くの雷鳴に過ぎない。
エズラ・ボーゲル米ハーバード大名誉教授も、この平成日本の「適温感」を指摘している。
「バブル経済の崩壊とともにはじまった平成は低成長だったが、平和と安定の時代だった。証券会社は文句を言っても、普通のひとのくらしや社会秩序では日本は非常にうまくやった。長生きで、健康で、教育の水準も高い。貧富の格差も欧米ほどではない。」(出典:日本経済新聞)
つまり、デフレデフレと騒がれながらも、日本の経営者も切羽詰まっていなかった。むしろ、バブルで「やっちまった」感の疼きを感じる日本の企業人や生活者にとっては、平成は必要な癒しの時代だったのかもしれない。
しかしながら、この適温感を支えてきた日本人の勤勉さや真面目さを前提にした、アトキンソン氏流に厳しく言えば「搾取」的な構造がそろそろ限界にきていることもまた事実なのである。
24時間営業ギブアップ宣言を余儀なくされるコンビニオーナーや、人手不足による宅急便の大幅値上げ、あげくは頻発するバイトテロなどその兆候は否が応でも露呈してきているのである。まして少子高齢化街道を驀進しながらも、移民受け入にも抵抗感のある日本社会で、今までのやり方がまかり通るわけもない。
給料ファーストで成功した実例
そのパラダイムシフトの現実的手法として、とにかく従業員の給料を上げてしまう、しかも基本は毎年ベースアップすると決めてしまうというアトキンソン氏の主張は一考に値するだろう。そもそも氏自身が国宝や文化財の修復を行う寛永以来の伝統企業である小西美術工藝社を再建した実感からの提言で説得力がある。
冒頭の番組でも、経営状況が悪くモチベーションが下がっていた同社の再建にあたり、給与アップし毎年のベースアップも約束することでいかに生産性が上がったかということをアトキンソン氏は説明していた。
私自身、氏の説に納得する部分があるのは、私が広告代理店出身だからである。実は、今でこそ就職先企業として人気があり、比較的に社員の待遇が悪くないことで知られる広告業界も、大先輩の世代ではまったくそうでもなかったと聞いている。それは電通四代目社長にして広告業界中興の祖である吉田秀雄氏の残された肉声の一端からも如実に伝わってくる。
「広告取引というものが、本当のビジネスになっていない。実業じゃないのだ。ゆすり、たかり、はったり、泣き落としだ。わずかにそれを会社という企業形態でやっているだけで、まともな人間や地道な者にはやれなかった仕事なんだ。(中略)一日も早くこんな商売から抜け出さねば、これは大へんなことになると、実はしょっちゅう考えておった」(出典:「電通入社二十五周年回顧座談会」)
ありがたいことに私が入社した頃には、これら先輩たちの苦労のおかげでとっくに大手の広告代理店各社は優良企業になりおおせていて、実際に有為の人材がひしめき会社と社員の信頼関係も盤石で、安心して働ける環境を会社が提供してくれてもいた。そんな環境があれば、もちろんアトキンソン氏に指摘されるまでもなく、真面目な日本の社員たちは勝手に全身全霊で日々励むものである。
卵が先かニワトリが先かという問題はあるものの、少なくとも広告業界においてはまだまだ厳しい時代から先行投資的に社員の待遇を上げることに意識的に取り組んだと聞いている。
吉田氏の言葉にもあるような産業として極めて低い地位から這い上がるための精一杯の取り組みではあったのだろうが、今現在まさに広告業界で意気軒高に活躍する仲間たちを見ている限り、その狙いは誠に正しかったように実感するのである。
おしゃれなエントランスや無料の社員食堂でごまかさない、本当の投資とは?
日本には色々な企業がある。例えば、世の中からは先進的なIT企業と見做され、無料の社員食堂やおしゃれなオフィスエントランスでアピールしながらも、実は社員の給料が極めて低かったり、フロアに社員を詰め込み過ぎてトイレがいつも大行列で有名な企業なども散見される。そして、どんなに飾り立ててもそんな実情も即座に隠しきれず伝わってしまうのが現代のネット社会でもある。
むろん厳しい競争のビジネス社会である、経営者にとって逃れられない債務とも言える給与を上げることには大きな勇気がいることは間違いない。しかし、厳しい環境であるからこそ、社員に厚く投資したときに何が起きるか、一度検討してみるのも良いのではないだろうか。
令和の時代、日本の少子高齢化が加速することだけは間違いなく、社員の替えはいくらでもいるという時代は金輪際こない。企業と社員の信頼関係を真に構築し、本当に社員に安心して長く働いてもらい、高いモチベーションで仕事に取り組んでもらうために高い給料ほどストレートな手段はないだろう。
給料は家族に持って帰ることができるし、貯蓄もできる。とかく日本人はお金に執着することを嫌うし、強硬な労働組合の活動なども肌に合わない。だからと言って、経営者がその環境に甘え、アトキンソン氏流に言えば「怠慢」を続ければ、きっと今後は思わぬしっぺ返しにあうだろう。
日本の経営者が、積みあがった内部留保を使い、勇気をもって社員に本気で投資しようと腹をくくることを願う。
きっと、そうすれば存外に令和の日本が面白い時代になるに違いない。
秋月 涼佑(あきづき りょうすけ)
大手広告代理店で外資系クライアント等を担当。現在、独立してブランドプロデューサーとして活動中。