沖縄県が今年の春と秋の叙勲候補者の推薦書類を文化庁に提出するのが期限に間に合わず、県民が受章できなかったことが明らかになった。県が21日公表した。
前代未聞のことに筆者は仰天したが、毎日新聞によれば、内閣府の担当者も「聞いたことのない事例」と話しているという。
地元紙、全国紙の複数の報道に目を通したが、発表された事実経過としては、推薦作業を担当していたのは文化振興課の職員1人で、「候補者が所属する団体への調査などを要する申請書類の作成が遅れ、提出期限を過ぎた後に文化庁へ申請書類を提出したために、受け付けられなかった」(琉球新報)と説明しているらしい。
春、秋と立て続けに提出遅れの不可解
しかし、不可解なのは、春・秋と推薦が立て続けに提出が遅れたことだ。
琉球新報によれば、春の叙勲の候補者推薦の締め切りは8月8日だったのに、この担当者が提出したのは5か月遅れの1月8日。さらに秋の叙勲の候補者推薦も、2月8日締め切りから遅れて3月下旬に提出したが、いずれも文化庁に却下された。担当者の上司が事態を把握したのは4月に入ってからだったという。
ここまで読むと、担当者の職務能力に加えて、チェック体制もずさんだったことに尽きるが、しかし、2度も続けてミスがあったというのは、常識的には考えにくい。
記者会見で明らかにされなかったのか、報道ではこの担当者の勤務経歴等の詳細を見かけなかったが、仮にこの担当者が経験不足の若手だったとしても、叱責を恐れるなり、あるいはパニックになったなりして、上司や先輩に報告・相談をしなかったとしても、叙勲は毎年行われる行事であり、スケジュール的にもチェックしやすいはず。
しかも、国家や公共に功労があったり、社会の各分野における優れた業績がある人を表彰をする重要さに鑑みれば、部署内の上司や先輩が定期的にフォローするのが常識ではないのか。それとも県の職員はそんなことも分からないほど暗愚なのか。
このあたりは、他県で同じ事務をしている人たちの意見も聞いてみたいが、春に続き、秋も遅れたというのは不可解極まりない。県政担当記者はもっと食らいつくべきだ。
翁長県政時代からの風潮が組織を毒してないか
まさかとは思うが、基地問題を巡って国と対立を深めてきたあまり、安倍首相、もしくは天皇陛下に対して思うところがあったり、玉城知事ら執行部に忖度してはいまいか?万が一、その担当者、あるいは担当者をかばうなど組織的なサボタージュであれば、歴史的な不祥事だ。
さすがにそれは言い過ぎにしても、翁長県政時代から続く「反中央」「沖縄ナショナリズム」的な風潮が役所内で跋扈するあまり、叙勲制度を支える自治体の責務や緊張感が削がれるような組織体質に変貌してはいまいか。
もちろん、そうしたことが「杞憂」であればよい。いや、そうであることを祈っている。しかし、昨年10月に翁長前知事の県民葬に、政府を代表して参列した菅官房長官が「基地負担の軽減に向けて一つ一つ結果を出す、県民の気持ちに寄り添いながら沖縄の振興・発展に全力を尽くす」と弔辞を読み上げた際、「帰れ」「うそつき」などと罵声が飛んだシーンを思い出すと、全くリアリティのない話とも思えない。
直接釈明すべきだった玉城知事
玉城知事は、21日の記者会見は現場の職員に任せ、コメントを出すだけだった。県のサイトにある知事日程によれば、その日は知事応接室で来客に会うなどしていて県庁で執務をしていたようだ。
公務で近隣に出かける時間帯にさしかかっていたのか、庁舎内にいても自らがイレギュラーの記者会見をするほどの重大事ではないと判断したのかもしれないが、「県行政への信用を大きく損ね、受章機会の喪失を招いたことを重く受け止め、深くおわびする」(出典:毎日新聞)というのであれば、無用な「憶測」を呼ばないためにも、自ら記者たちの前で釈明した方がよかったのではないか。
つまり、事が叙勲という日本国家に関わる問題である上に、知事が選挙時に「イデオロギーよりアイデンティー」を掲げた経緯があるだけに、妙な形で本土側に解釈されるような余地は出来るだけ残さない方が知事にとっても賢明というわけだ。
いずれにせよ、次回の定例会見で特に読売や産経の記者には知事に厳しく問いただしていただきたいものだ。