常に積善を志す

私が私淑する明治の知の巨人・安岡正篤先生は、「我々は悪を除くには急進的で、善に対しては保守的でなければならぬ」と述べておられます。前段に関しては文字通り、悪を除去すべく直ちに行動を起こし、一刻も早くそれをやり遂げようとする強い意志を持たねばならない、ということでしょう。本ブログでは以下、後段につき私が思うところを簡潔に述べて行きたいと思います。

結論から申し上げれば、こと善に対しては慌てて自己宣伝の如く売り込むのではなく、自然とそういう流れが出来、自然と伝わって行く中で善行をすべきである、というふうに理解したら良いのではないでしょうか。それは安岡先生が、人生を健康に生きて行く上で大事な三つのこと、「心中常に喜神を含むこと」「心中絶えず感謝の念を含むこと」「常に陰徳を志すこと」として、陰徳を積むことを挙げておられます。

此の「常に陰徳を志す」とは、「絶えず人知れぬ善いことをする」ということであります。「俺は世の為人の為に、之だけのことをしたんだ!」と言って回るのでなく、誰見ざる聞かざるの中で世に良いと思う事柄に対して一生懸命に取組むのです。安岡先生は御著書『運命を創る』の中で、「何か人知れず良心が満足するようなことを、大なり小なりやると、常に喜神を含む(…どんなに苦しいことに遭っても、心のどこか奥の方に喜びを持つ)ことができます」と言われますが、正にその通りだと思います。

また、陰徳を積めば精神が潑剌としてくるだけでなく、良い運が巡ってきます。「情けは人の為ならず」という言葉があるように、人の為にすることが軈(やが)て自分に返ってくるのです。『易経』の「積善の家には必ず余慶(よけい)有り。積不善の家には必ず余殃(よおう)有り」という教えも同じことを言っています。善行を積み重ねた家にはその功徳により幸せが訪れ、不善を積み重ねた家にはその報いとして災難が齎されることを説いています。

ですから、運命を良くする為には善因をつくらねばなりません。「善因善果(ぜんいんぜんか)・悪因悪果(あくいんあっか)」という禅語がありますが、之は良いことをやれば良い結果が生まれ悪いことをやれば悪い結果が生まれるといった意味です。但し、良い結果を期待してやるのではなく、陰徳と迄は行かずとも当たり前の行為として善行を積み重ねるのです。安岡先生も、ある意味複雑軽妙な因果律「数の法則」に従って善因善果・悪因悪果というようになると言われています。

拙著『ビジネスに活かす「論語」』のエピローグ「運命とは自ら切り開き、創っていくもの」にも書いたように、運命を切り開くには、自分の努力に関わる部分と偶然の齎す幸運に関わる部分があるでしょう。それに加えて、生き方によって運気を強くすることも出来るのではないかと思うのです。それは即ち、善行を施して行くという生き方です。運気を強くするには日々自分を律し、事の大小を問わず機会を見つけて陰徳を積むようにし、自らの心を常に綺麗にして置くことが大切だと思います。

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