こんにちは!黒坂岳央(くろさかたけを)です。
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はてなに興味深いエントリーが寄せられました。「専業主婦じゃない無職の人妻は何と名乗ればいいのか?」というものです。数々の批判コメントが寄せられており、物議を醸しています。
このテーマについて、Twitterで思うところを述べてみました。
お話の全容
まずは内容を見てみましょう。
私は結婚していて仕事をしていない。しかし専業主婦ではない。理由は主婦業をしていないから。
もともと働いていたのだが精神を病んでやめた。結局ASD(と多分ADHD)というのが分かり、今も無職だ。
専業主婦を名乗るほどの家事もできない。辛うじて洗濯だけはしている。着るものがなくなるので。
炊事という行為は不可能にしか思えない。掃除は突然狂ったようにやるときもあるが、基本的に片付けられない。
書いていて嫌になってきたが、これ専業主婦とはいえないよなあ…。
なんと名乗ればいいのか。家ではニートって名乗ってるけど、外でいつも困ってしまう。ニートです、は言いにくいし。専業主婦は嘘ついてる感じだし。
世間の専業主婦問題にも乗れないし。家計も私握ってないし。なんかいい名乗りないかなあ。
この投稿について、
「貴族でしょ?」
「シンプルに無職でいいのでは?」
「男性だと無職、女性だと家事手伝い。差別だね」
といったコメントが寄せられています。
日中に働いていないとまともな人扱いされない
日中の9時~18時という時間帯に会社で働いていないと、どこか異常であるかのような扱いを受けてしまうものです。私は経営者ですので、定時という概念はありません。基本的に年中無休で働いているのですが、混雑を避けるために土日ではなく平日に髪の毛を切りに行ったり、子供を外で遊ばせる事があります。ある時、「男が昼間に小さな子供を連れ回している」と近所で私の事を言われていることを知って驚いたものです。特に地方だと私のようなライフスタイルは一般的でないでしょうから、訝しげに思われてしまい、近所の噂になってしまうことがあります。
また、仕事を持っていてもそれが朝始まり、夕方終わる一般的な時間でなければ「怪しい仕事をしているのでは?」などと思われることもあります。日本では日中に働いていない人は、どこか問題があると思われてしまう文化があるように感じます。
専業主婦、無職に対する風当たりの強さ
世の中にはいろんな事情があって働けない人、働く必要のない人がいます。事情は人それぞれ、他人がとやかく言う必要はありません。投資収益が年間の支出額を上回る状況が続くようなら、生きるために働く必要性がないわけですが、そのように暮らしているのを見て「怠けている。働け!」とおせっかいに叱りつけようとする人もいます。
こと専業主婦に対する風当たりはものすごく強いと感じます。子供が生まれると分かるのですが、子供がいると仕事は本当に難しくなります。保育園、幼稚園を入れるのにかかる費用と、パートで働く収入があまり変わらないなら、「外で働かずに、自宅で子供を見ておく方が合理的」という判断になる場合も少なくありません。そして子供がいる専業主婦にも、「子供がいても働いている人はいくらでもいる」と批判する人が少ないのに、子供がおらず主婦業もしていないとなると、「ケシカラン!」と他人に怒りを顕にする奇矯でヒマな人がいるのです。
今回のケースは他人から言われている、というより自分が他人から変に思われてしまわないかを憂慮しての話です。結婚をしており、生活をする上での経済的基盤を持っていて、旦那さんが無職をOKしているようですので、他人の目など気にする必要は本来ありません。それなのに人の目を気にしてしまうのは、「日中に働かない→どこかおかしい人」と思う文化に立脚したものと考えます。
ライフスタイルの多様性を受け入れる意識へ
日本人はそろそろ、各々のライフスタイルの多様性を受け入れるよう、意識のアップデートが必要な時ではないでしょうか?
どんなライフスタイルを送ろうと、「人は人、自分は自分」です。他人が気になるのは、それだけ自分の人生を一生懸命生きていない「ヒマ人」ということです。自分の人生に一生懸命な人ほど、他人に関心を持つヒマがないはずなのです。ヒマをしている他人から何を言われようとも、どう思われようとも気にしなければよいのです。労働だけが有意義な時間の過ごし方ではありません。無職ブロガーのように働かないでも生きていける状況にあるなら、その立場に感謝しつつ、結婚している夫と毎日を楽しく生きる創意工夫を模索すればよいのではないでしょうか。
黒坂 岳央
フルーツギフトショップ「水菓子 肥後庵」 代表
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