韓国発、北朝鮮のフェイクニュースに注意

鈴木 衛士

「米朝協議の主たる担当官であった金赫哲(キム・ヒョクチョル)国務委員会米国担当特別代表が処刑された」などという韓国の報道が誤報であったことが報じられている。筆者は当初より、これらは偽情報に基づくフェイクニュースであろうと見ていた。というのも、まずこれが「北朝鮮の情報筋」という単一のHUMINT(人的情報)に基づくものであったからである。

朝鮮日報会社案内より:編集部

HUMINTというのはそれが余程信頼できる(複数の)情報源がない限り、情報の世界ではその信頼性は低いとみなされる。これは暗号名「カーブボール」という人物の偽情報が端緒となり、イラク戦争を惹起してしまったという歴史的事実からも明白である。つまり、単体のHUMINTで情勢を判断するというのは、大きなリスクを伴うのである。

次に、処刑された場所が「美林(ミリム)飛行場」とされていたことである。美林飛行場とは、北朝鮮の主要な空軍基地であり、首都である平壌(ピョンヤン)近郊に位置していることから、金正恩委員長に対する展示演習や閲兵式などが行われる基地でもある。いくら公開処刑が見せしめのための行事だとしても、軍人でもない金赫哲国務委員の処刑という類の行事が、首都防衛の根拠飛行場で民間輸送機も恒常的に利用しているような空軍基地で行われるというのはあり得ないと思っていた。

また、このような性質を持つ美林空軍基地は、当然ながら米軍の要監視対象地区であるだろうから、かかる顕著な行事が行われたとしたら、いずれかの監視網に引っかかっていたはずである。このことは、北朝鮮も認識しているに違いなく、ここで公開処刑を行うということは、即ち「米軍の偵察衛星で見られるのは承知の上」ということになる。

だとすれば、この情報はもっと早い段階で(いずれかの情報源から)韓国情報機関などを通じてメディアなどに漏れていたであろう。今頃になって、この情報がもたらされるのは不自然である。

そのほかに、同じ情報源に基づくとされる「金英哲(キム・ヨンチョル)が革化教育を受けている」との報道についても、4月27日付の拙稿「金正恩の懐刀『金英哲』の去就」で述べたとおり、金英哲は更迭などされていないと見ていたので、これも嘘だろうと思っていた。

なお、新たに6月3日の朝鮮中央通信で、金正恩委員長と金英哲が軍事関連の公演の鑑賞会に同席していたことが確認されたことから、やはり「彼の権力内の立場に変化はない」と見て間違いないだろう。こう考えると、彼の直近部下であった「金聖恵(キム・ソンヘ)統一戦線部統一策略室長」だけが政治犯収容所送りなどということは「およそあり得ない」ということになる。恐らく、いずれ彼女も姿を現すに違いない。

さらに、金与正(キム・ヨジョン)党第一副部長に至っては、同じく3日から開催されたマスゲーム公演で兄である金正恩委員長と同席しており、報道にあったような「謹慎中」だった気配はみじんもない。

金正恩氏とマスゲーム観戦が伝えられた金与正氏(左、朝鮮中央通信より引用)

問題は、なぜこのような偽情報が韓国メディアを通じて流布されたのかということである。何より、これらの偽情報の根底にあるのは、「第2回米朝首脳会談物別れの責任を負わされた処刑や処罰」というものである。これによって、最悪は担当者が「死刑まで負わされた」という情報は、いかなる意味を持つのだろうか。これら偽情報が意図的に流されたものだとしたら、それは何を企図したものであろうか。

筆者は、これらの情報は意図的に流されたものだと感じている。であるならば、この情報源の企図は大きく二つが考えられる。一つは、「自分(金正恩)の責任を棚に上げ無慈悲で残虐な所業を糾弾する」という意図を表したものである。だとすると、この情報源は北朝鮮の反体制派に属するものだと考えられる。

もう一つは、「米朝交渉に臨んでは、いかなる失敗も許されず、交渉が失敗に終わった場合の責任者は死をもって報いることになる」という印象操作である。この場合の情報源は、金正恩政権側に属するものであろう。

今回の情報源は、そのタイミングなどから後者であろうと考える。つまり、金正恩政権は、三回目の米朝首脳会談へ向けての交渉や、安倍総理が呼びかけている日朝首脳会談へ向けての交渉において、「北朝鮮が首脳会談を行うにあたっては、その結果の成否に担当者の人命が懸かっている。したがって、敗北(譲歩)などあり得ない」というプレッシャーを相手側に与える意図があったものと考えられる。つまり、これを裏返せば、「金正恩委員長は(第3回目の)米朝首脳会談や日朝首脳会談を意識して事前の宣伝工作を指示している」ということになる。

ちなみに、6月2日に北朝鮮の対外窓口機関である、朝鮮アジア太平洋平和委員会の報道官が、前提条件なしで首脳会談を目指すとした安倍総理を「ずうずうしい」と名指しして批判したのも、「首脳同士が会おうというのなら、これに応じられるような何らかの見返りを示せ」というメッセージにほかならない。日本側の出方を探り、その利不利を見極めようとしているのであろう。

北朝鮮では、6月3日から、芸術公演「人民の国」と称する大規模なマスゲームが開催された。これは昨年に引き続いて開かれたものであり、今年は10月までの予定となっている。このマスゲームは、従来「アリラン祭」などと名付けられ、北朝鮮にとって外貨獲得のための重要なイベントとして2013年まで毎年夏から秋にかけて開催されていた。

しかし、2012年から2013年にかけて北朝鮮が弾道ミサイルや核実験を立て続けに実施したことから一挙に朝鮮半島情勢が緊張し、観覧する外国人が激減して中止せざるを得なくなっていた。その後、平昌オリンピックを契機に北朝鮮は対話路線へ舵を切り、緊張が緩和した昨年の2018年から再び行われるようになったものである。また、このマスゲームは、2000年にはオルブライト米国務長官が、2007年には韓国の廬武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が観覧するなど、外交にも利用される国家的行事でもある。

結言すれば、この大会を昨年に引き続き開催するということは、金正恩委員長は少なくともこの秋まで外交及び経済重視路線を継続するということを示している。これから当面の間は、引き続き北朝鮮による活発な政治的プロパガンダが発せられるであろう。

われわれとしては、先のようなフェイクニュースを真に受けて大々的に報道するような愚を犯してはならない。これは相手側の思う壺である。少なくとも、NHKなどの大手メディアは、この手の情報を垂れ流しにするのではなく、きちんと多情報と照らして評価するなど、慎重に取り扱ってもらいたいと思う。

鈴木 衛士(すずき えいじ)
1960年京都府京都市生まれ。83年に大学を卒業後、陸上自衛隊に2等陸士として入隊する。2年後に離隊するも85年に幹部候補生として航空自衛隊に再入隊。3等空尉に任官後は約30年にわたり情報幹部として航空自衛隊の各部隊や防衛省航空幕僚監部、防衛省情報本部などで勤務。防衛のみならず大規模災害や国際平和協力活動等に関わる情報の収集や分析にあたる。北朝鮮の弾道ミサイル発射事案や東日本大震災、自衛隊のイラク派遣など数々の重大事案において第一線で活躍。2015年に空将補で退官。著書に『北朝鮮は「悪」じゃない』(幻冬舎ルネッサンス)。