文大統領「対話で国を守る」の脳天気さ

長谷川 良

韓国最大手日刊紙「朝鮮日報」日本語版(6月20日)の社説には考えさせられた。タイトルは「『対話で国を守る』と主張する韓国軍の笑えない喜劇」だ。朝鮮日報は国防日報17日付1面の記事「南北の平和を守るのは軍事力ではなく対話」(その内容は文在寅大統領のスウェーデンでの演説)を報じ、「国の安全保障における最後の砦となる韓国軍が、軍事力ではなく、対話で国を守る」という趣旨に大きな懸念を表明している。

南北融和路線を一直線に走る文在寅大統領(2019年6月20日、韓国大統領府公式サイトから)

朝鮮日報の懸念は正論だろう。「対話」は戦争や軍事衝突を回避するための前哨戦だが、国を守るのは最後はその国の軍事力だ。軍事力の脆弱な国は対話テーブルにおいて、守勢をどうしても余儀なくされる。

冷戦時代を思い出す。欧州は東西陣営に分割され、民主主義陣営と共産主義陣営が激しく覇権争いを展開させていた。最終的には、米国の圧倒的な軍事力の前にソ連は白旗を挙げて冷戦時代は一応を幕を閉じた。そこまで到着するのは安易な道ではなかった。

軍事力で劣勢が明らかになると、ソ連共産圏陣営はデタントを表明し、対話路線をちらつかせてきた。カーター米大統領(任期1977〜1981年)はデタント戦略に騙され、「人権外交」を標榜し、共産主義の拡大を許したことは歴史的教訓だろう。冷戦時代では「対話」は軍事力が劣勢の時、時間稼ぎを目的とした一種の戦略に過ぎなかった。国連を舞台とした国連外交もその延長戦にあった。

「対話外交」の実例を挙げて考えてみたい。イラン核協議で13年間の対話外交が続けられた。核協議はイランと米英仏中露の国連安保理常任理事国にドイツが参加してウィーンで協議が続けられ、2015年7月、イランと6カ国は包括的共同行動計画(JCPOA)で合意が実現した。イラン核合意は13年間の対話外交の成果として評価された。

ところが、トランプ大統領が2018年5月、「イラン核合意は不十分であり、イランの核開発を阻止できない上、テヘランは国際テロを支援している」として、核合意から離脱を宣言、同時に対イラン制裁を再開した。

米国の核合意離脱表明後、イランは、「欧州連合(EU)を含む欧州3国がイランの利益を守るならば核合意を維持するが、それが難しい場合、わが国は核開発計画を再開する」と主張し、関係国に圧力をかけてきた。具体的には、イランは今月27日にはJCPOAで許容されている低濃縮ウランの保存量300キロを超え、来月8日にはウラン濃縮レベルを3・67%を超える高濃縮プロセスに入ると警告を発したばかりだ(核兵器用には90%のウラン濃縮が必要)。

冷戦時代の軍縮外交の成果といわれた中距離核戦力全廃条約(INF)が米国とロシア両国間で破棄された。トランプ米大統領は昨年12月初め、「ロシアはINF条約に違反している」と批判し、モスクワが陸上発射型巡航ミサイル「ノヴァトール9M729」(NATOのコード名・ 巡航ミサイルSSC-8)を破棄しなければINFから離脱すると表明、60日内という最後通牒を発した。それに対し、プーチン大統領は、「米国は自国の軍拡政策をカムフラージュするためにロシアを批判している」と反論し、米国のINF違反批判を一蹴してきた。

INF条約、そしてイラン核合意は“対話外交の成果”と受け取られてきたが、第2次冷戦時代に入ったといわれる現在、2つの対話外交の成果は破棄されたわけだ。外見的にはトランプ米政権の一方的な条約破棄のようにみえるが、INFの場合は、ロシアがINFの陰でミサイル開発を促進してきたという事実、イラン核合意の場合、テヘランは核合意の背後でミサイル開発を続ける一方、地域テログループに軍事支援をして中東地域の危機を深めてきたという事実がある。冷戦時代の構図の出現だ。敵国を対話テーブルに誘い、相手側を油断させる一方、軍事力の拡大に腐心するというパターンだ。

同じことが朝鮮半島でもいえる。核実験とミサイル発射を繰り返し、国際社会の厳しい制裁下に陥った北朝鮮は韓国の文在寅政権の南北融和路線を巧みに利用して対話外交を展開させてきたが、非核化に応じる考えは最初からない。対話外交で対北制裁を解除させる一方、核保有国の認知を得るという戦略だ。ここでも対話が重宝に利用され、南北首脳会談、米朝首脳会談、ロ朝首脳会談、中朝首脳会談と次々と対話外交を展開させてきたわけだ。

強硬な対話外交を展開させる北朝鮮に対し、文政権はもろ手を挙げて歓迎し、「対話で国を守る」というメッセージを韓国軍の兵士たちの前で叫ぶ有様だ。金正恩氏は文大統領のメッセージを読んで笑いだしただろう。当の金正恩氏はミサイル発射実験を現場で視察した際、「強力な力によってのみ、平和と安全は保証される」と発言しているのだ。文在寅大統領は“第2のカーター”になろうとしている。

それだけではない。朝鮮日報は今月15日に江原道三陟港に入港した北朝鮮漁船を巡る一連の事態を報じ、首を傾げている。国防省は北朝鮮の漁船乗組員による帰順を把握できなかったばかりか、韓国軍の警戒網に致命的な欠陥があることを無視して偽証している。「対話こそ国を守る」といわれ、60万人の韓国軍兵士の士気が下がっている。

相手を理解する手段としては「対話」は素晴らしい。個人から国家の外交に至るまで問題を対話を通じて解決するという考えは大切だが、第2次冷戦時代を迎えた今日、対話が悪用されるケースが出てきているのだ。中国の最近の軍事拡大路線はその典型的な例だ。世界が冷戦終焉に酔っていた時、北京の共産党政権は着実にその版図を拡大してきた。それに気が付いたトランプ政権は対中強硬政策に乗り出してきたわけだ。

対話、寛容、公平、譲歩を愛するリベラルなメディアからはトランプ政権は激しい批判を受けているが、“ディールの名手”を自負するトランプ大統領は対話の価値と同時にその限界を知っているのだろう。対話テーブルではトランプ氏は常に世界最強のパワーをちらつかせる。平和憲法を掲げておけば、国が守れると考えている一部の日本人には、トランプ氏の言動は国際連帯を無視した米国ファースト外交と見えるのだろうが。

ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年6月22日の記事に一部加筆。