日本では植物肉とか培養肉などという言葉はほとんど通じないでしょう。振り返ってみれば日本では戦後、食卓に肉が並ぶのが夢でした。その夢の実現に向けて日本人は猛烈な努力をし、ついに松坂牛や神戸牛をはじめ、三元豚、薩摩地鶏など数々のブランド肉を生み出し、世界でもトップクラスの品質を生み出しているといってよいでしょう。
ところが世界では昔から肉に対する様々な制約がありました。宗教的制約と体質的制約であります。それゆえ、世界では肉を食さない人が珍しいわけではありません。25年ぐらい前、アメリカ人の従業員が突然、奥様の影響でベジタリアンになり、それ以降、一切肉を口にしなくなります。それまでは一緒にステーキを食べに行っていたのに、です。その彼が「ベジタリアンになるとき、満腹感がないのではないかと思ったけど全然大丈夫だよ」と私にもしきりに勧めていたのを覚えています。
北米のスーパーではベジタリアン用のイミテーション肉はずいぶん前から売っていました。夏のBBQの時などにはベジタリアン用に必ずこのイミテーション肉のソーセージなども買うのですが、必ず残ってしまいます。決しておいしくなかったからです。
当地にはいわゆる採食主義者向けレストランがいろいろあり、中華料理店でも採食主義者専門店があります。初めて行ったとき、「案外行ける」と思いました。ただ、菜食主義の寿司店はまずかった!(魚も植物性のイミテーションにして人工着色してそれらしきものにして売っているレストランがあるのです。)
ではなぜ、この数年、急に植物肉やら培養肉なるものが出てきたのか、といえば急にベジタリアンが増えたわけではなく、パーセプション(認知)の浸透と植物肉の技術の進歩、そしてマーケティングなのだろうと思います。まるで世の中にガソリン以外で動く自動車が登場したかのような大革命的扱いなのでしょう。その背景には環境問題と健康志向がありそうです。
牛一頭育てるのにどれだけの餌を与えなくてはいけないのか、今後、増大する人口に見合う食肉を生産し続ければ食糧問題だけでなく、地球環境問題にも影響する、という発想が根本にあるのだろうと思います。もう一つは動物性由来のアレルギーがなく、狂牛病のような病気もないということでしょうか?
北米でオーガニックフードを扱う「ホールフーズ」というスーパーが流行に敏感な世代を中心に流行っていますが、なぜでしょうか?根本の由来を考えると自分のカラダに入るものは安全安心なものが良いという発想がありそうです。
これらの時代の流れに敏感な層が生み出しているのが植物肉や培養肉といった自然界の環境を傷めず、自分のカラダにも優しい食品へのし好の変化かもしれません。
では日本でこんな文化ははやるのでしょうか?私にはわかりません。が、私が北米にいる限りにおいて感じるのは、北米での食に対するこだわりは日本に比べてはるかに低いと思います。つまり、日本のように飲食へのとことんの追及などなく、いつも同じようなものばかり食べ続けることに特段抵抗を持ちません。よって、上述のようにパーセプションで世の中のトレンドが生み出しされた瞬間、そちらに向かってどんどん走り出せるともいえるのかもしれません。
カナダで最も著名なドーナッツ/コーヒーチェーンのティム ホートンズでもビヨンド ザ ミートのハンバーガーを売り始めていますし、スーパーのセーフウェイでも大々的に宣伝して販売強化をしています。
私の直感ですが、これは爆発的成長をするとみています。特に今は北米主体ですが、イスラム圏や菜食主義の仏教徒が多いインドや東南アジア圏で圧倒的に受けると思います。また、今はまだ食物由来のミンチ肉が中心ですが、培養肉でステーキ状の塊肉も近い将来できるはずです。
では動物性脂が欠かせないラーメンやさしが入ったA5の牛肉などを食べる日本人はまた世界から異端児扱いされるのか、と言われればそれはないと思います。ならば韓国人が培養肉の焼き肉を食べるのか、というのと同じです。食文化の長い歴史がある地域ではそこまで変わることはないでしょう。そういうものが世の中を席巻したとしても人間のし好がそう簡単に変われるものではないとみています。
もちろん、最近日本食の中でも天ぷらは脂っこくて北米ではさほど好まれないといった傾向から多少の取捨選択は出てくるかもしれませんが。
確実に言えることは私のように北米に28年も住んでいると食に対する期待感がゼロなので食べたい欲求は下がることは事実かもしれません。ビヨンド ザ ミート、私は案外、抵抗なく受け入れるかもしれません。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年6月25日の記事より転載させていただきました。