こんにちは!黒坂岳央(くろさかたけを)です。
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正論が大好きな人は少なくありません。
統計データに基づく根拠のある主張ではありませんが、個人的には一部の中高年のオジサンに多い感覚があります。自分より立場の弱い人に対して、高圧的に「正論」で殴りつける様子は、見ていてあまり気持ちのいいものではありません。
私も時々、ブログやTwitterに正論という鈍器で殴りかかられる事があります。また殴られるかもしれませんが、勇気を持ってTwitterへ投稿してみましょう。
正論でも物腰が失礼だと受け入れられない。「正論は正義だ」と勘違いして、正論という鈍器で殴りつける人は一定数いるが、「相手は自分の話を聞く」という前提条件に立脚したチャイルディッシュな姿勢と感じる。
正論が正義ではなく、相手の心に届いた正論が正義なのだ。
— 黒坂 岳央社長@起業家・作家・講演家・投資家 (@takeokurosaka) 2019年6月29日
正論おじさんの真の目的とは?
相手に正論をぶつけて、論戦を望むおじさんの目的とは何でしょうか?
人の価値観は十人十色で、十把一絡げには言えません。しかし、一つの意見として主張させてもらうならば「自分が気持ちよくなりたい」という利己的な理由によるものと考えます。
「お前のためを思っていうんだ」
「全体を考えると、こうあるべきだ」
とあたかも利己的な姿勢に見られないような、物言いをする正論おじさんもいますが、結局のところ行き着くのは自分自身が気持ちよくなりたいというものでしかありません。拳こそ使っていないものの、相手を論破する、ひれ伏させるための言葉は相手を精神的に鈍器で殴りつけるのと同義です。
正論も相手に届く形でなければ意味がない
どれだけ正論でも、相手の心に届く形でなければ意味がありません。失礼な物言い、姿勢ではどれだけ正しい事を言っていても、誰も話を聞こうとは思わないものです。
そこで必要なのは「客観性」という知的活動です。自分の脳に閉じ込められた自己認識を押し広げ、自分の頭上1m上から自身の言動を俯瞰するには、客観性という知性が必要です。正論をズバズバぶつける能力はあっても、それを相手に受け入れられる形で届ける知性もまた必要なのです。
「正論は正義だ」ではなく、私は「相手に届いた正論が正義」と考えています。正論おじさんは「相手は自分の発言をすべて聞いてくれる」という、誤った前提条件に立脚しています。相手が受け取れるかどうかを考慮せず、好き勝手オピニオンをいうだけなら子供でもできますから、これはチャイルディッシュな精神ということも出来るのではないでしょうか。
正論より共感
正論はもちろん、正しいですし必要です。が、正論より大事なのは「共感」ではないでしょうか?相手の言葉に共感することで、初めて相手の話を聞こうという気持ちになります。相手の耳が閉じている時に正論を言うほど、ムダな時間がありません。まずは相手に共感し、ふさがった耳の穴をあけてその後に正論を言うべきと考えます。
どこまでいっても人は人と支え合って社会の中で生きています。いや、生かされているという方が正しい表現かもしれません。そう考えると、正論を言って一人で気持ちよくなるより、共感をして全員で気持ちのいいコミュニケーションを実現することこそが、大人として必要なスキルではないでしょうか。
黒坂 岳央
フルーツギフトショップ「水菓子 肥後庵」 代表
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