名作「凪待ち」なぜか愛されてしまうギャンブラー

現在上映中の白石 和彌監督作品「凪待ち」ですが、ギャンブル依存症者を香取慎吾君が演じるとのことで、仲間たちとも話題となり、早速観に行ってまいりました!

すでに評判になっていますが、間違いなく今年NO1映画ですね。
香取君の鬼気迫るギャンブル依存症者ぶり、胸が締め付けられるようでした。

この「凪待ち」で描かれている、ギャンブラーとその家族の描写って、もしかしたら普通の人たちにはデフォルメしているように感じられるかもしれませんが、
あれはまさに我々の仲間たちの日常。
ものすごいリアリティです。

何よりも、我々依存症者も苦しんでいるのだと、決して、楽しみのために、楽して儲けようとして博打を打っているわけではないという、「真実」があますことなく描かれていて、是非是非多くの方にご覧頂きたい!と願っています。

私は、博打で(ギャンブルより私は博打の方がピンとくるんですよね)周囲の人に迷惑をかけ、約束が守れず、どんどん堕ちていく自分を、誰よりも自分自身がさげすんできました。
反吐が出るくらい自分が大っ嫌いでした。

どんなに自分を責め、ののしり、また「今度こそしっかりやろう!」と誓っても、結局、何よりも博打を選んでしまう自分に絶望していました。
他人と関わることが怖くて仕方がなかったのに、いきがり、いらだち他人を傷つけてばかりいました。

香取君は、あのころの自分を投影するような姿を余すことなく演じてくれていて、あれは、ギャンブラーなら心臓をつかまれるような苦しさと、それでいて共感という繭に包まれるような感覚におちいることでしょう。

そしてこの映画の神髄は、ギャンブラーと家族たちの強烈な共依存関係にあると思います。
ギャンブラーは何故か愛されてしまう・・・
この映画で再びその思いを強くしました。

一般の人から見たら、なんであんな男に・・・と思うような、どうしようもないクズなのに、その人をどうしても放っておけない。
共依存という切なくも苦しい愛の中にとどまることを選択する人たち。
私たちの多くの仲間もそこにとどまっています。

私や仲間たちは、共依存からタフラブを選び、ギャンブラーの世話をやくことをやめましたが、とどまることを選択した人たちが、愚かなわけでも、悪いわけでもありません。

愛する人をなんとか立ち直らせたい。
愛する人に変わって欲しい。
そして何よりも愛する人を助けたい。

この想いにとりつかれ、ギャンブラーから逃れられない、離れられない人生もまたあるのです。
そしてそれはハタから見たら、不幸であっても、幸か不幸かは当事者たちにしかわからないことなのです。
この映画はその限界ぎりぎりの家族たちの壮絶なドラマが描かれています。

やっぱり、依存症者にはどこか魅力がある・・・
仲間たちを見ていてもそう思っていましたが、この度、改めてその思いを強くしました。

頼りなくて、嘘つきで、意地悪で、見栄っ張りで、いつもイライラして人を寄せ付けようとしない依存症者、でもその根底にある、優しさや、繊細さ、時々見せる笑顔や頼りがい、垣間見せるその姿を、追い求め惹きつけられていく家族の気持ち・・・痛いほどよくわかります。

人間の心は本当に不思議です。
理屈ではわからないそれぞれの物語。
「凪待ち」是非、みなさん観てください。


田中 紀子
公益社団法人「ギャンブル依存症問題を考える会」代表
国立精神・神経医療センター 薬物依存研究部 研究生
競艇・カジノにはまったギャンブル依存症当事者であり、祖父、父、夫がギャンブル依存症という三代目ギャン妻(ギャンブラーの妻)です。 著書:「三代目ギャン妻の物語」(高文研)「ギャンブル依存症」(角川新書)「ギャンブル依存症問題を考える会」公式サイト