国際手配から26年!米国から身柄送還依頼があったチリの富豪

最近、チリの富豪カルロス・カルドエン(Carlos Cardoen、77歳)に纏わる話題がメディアで取り上げられるようになった。1993年に米国の要請でインターポールから国際手配され、しかもそれが2009年と2019年にも延長されている。

カルドエン氏(Wikipedia:編集部)

しかし、米国司法省が正式に彼の逮捕状を出したのは今年3月22日。国際手配を要請しておきながら26年間米国から逮捕状が出ていなかったのだ。米国から正式に彼を裁く為の身柄の拘束の要請があったが、チリ最高裁は米国に対し60日の猶予を与えて身柄の送還の為の正式な手続きに基づいての申請を要請したという。

それに対して、チリの上院は今年1月に彼を保護するための必要な外交及び司法上の対策を取ることを賛成26票、棄権1票で可決させている。23人の上院議員はピニェラ大統領にも彼を保護することへの支援を要請している。(参照:interferencia.clbbc.comeuropapress.es

なぜ米国は最初の国際手配から26年が経過した今となって彼の身柄の送還を要請するようになったのか?なぜチリは上院議員まで彼を保護することを支持しているのか?

フセイン大統領と会談するカルドエン氏(Wikipedia:編集部)

米国が彼を裁きたい理由を簡潔に説明すればカルドエンは爆弾の生産に必要な鉱物ジリコニウム を違法に米国から輸入して1983年から1990年までサダン・フセインの政権下にあったイラクや中東諸国などに複数の子弾を中に詰めたクラスター爆弾を輸出していたということだ。

一方のチリ議会が彼を保護するのを支持しているのは、彼がクラスター爆弾を販売したのは米国が事前に了解していたというカルドエンの説明を信じていることと、その後も彼はチリで10社以上の企業を設立してチリの産業発展に貢献して来たからである。

その過程の中で、ピノチェ軍事政権下では国際的に制裁下にあったチリがアルゼンチンと紛争を起こす可能性があった時に、彼はチリを守るために爆弾を生産してチリの軍部に納めていたという経緯もあった。

彼の祖父はベルギーからの移民者でエンジニアであった。彼の父親も同じくエンジニアで企業家で州知事と市長を歴任。カルドエンはチリ大学で土木技師を習得し、その後米国のユタ大学で冶金学の博士号を取得した。彼が爆薬物に触れるようになるのはノーベル賞受賞者メルビン・クックの助手になって彼が経営する爆薬物の生産企業イレコの副社長に就任してラテンアメリカ市場を担当してからであった。

1977年には米国人ひとりをパートナーに加えて爆薬物の生産企業を設立。それを米国やチリの鉱山関係の企業に販売していた。同年末にはチリ軍部からアルゼンチンと戦争になる可能性があるとして彼の企業並びに他の爆薬物生産企業に対し爆薬物の生産の要請があった。

カルドエンは空軍の予備役で副中尉であったことから軍部とは良好な関係をもっていた。そこで彼は空中から落下させる爆薬物を生産。その後、地雷も多種生産するようになった。また、1982年には国防大臣だったフォレスティエル将軍が彼の企業の顧問に就任し、スイス企業からのライセンスで装甲車の生産にも取り掛かって軍部への販路を広げた。

外国市場で最初に販売した国はカダフィが支配していたリビアであった。リビアは米国の制裁下にあったことから米国のある企業がカルドエンにその市場を譲渡したのである。

カルドエンは新しい爆薬物の開発に強い関心を示し、彼は米国から二人の専門家を招いて開発したのがクラスター爆弾である。それを他の弾薬と一緒に1984年にイラクと6000万ドル(66億円)の販売契約を結んだのである。クラスター爆弾は一発8000ドル(88万円)もする代物だったという。

1984年には輸出向けでAlacran装甲車も生産するようになり、1台25万ドル(2750万円)で販売した。
(参照:interferencia.cl

1980年代半ばにはカルドエンのライバル企業がクラスター爆弾をイランに販売するという事態も起きた。カルドエンは販路を広げ、アルゼンチン、フランス、スペイン、米国、エクアドル、スウェーデン、英国、南アなどとも取引を展開させていた。

イラクとはその後もビジネスは続き、80年代末には2500発のクラスター爆弾を販売したという。

チリ国内は1990年に入ると民主化となり軍需品への需要は後退。その結果、カルドエンはビジネスを中東に集中させて行くのである。但し、1990年にフセインがクウェートに侵入したことによって米国からの干渉が度合いを増すのである。

今回、米国がカルドエンを米国で裁きたいとしているが、「彼は1982年から1991年までイラクで販売していたことは米国は知っており、しかもそれを了解していたことはカルドエンは理解していた」と指摘しているのは、彼と1985年まで一緒に働き現在は国際政治の教授であるダニエル・プリエトである。

更に、プリエトは「その後、米国はカルロス(カルドエン)への姿勢が変化したのは観察できた。米国は彼がイラクに持っていた二つの工場も爆撃した」と語った。

インターポールが国際手配した時になぜ米国は同時に彼の送還を要請しなかったのかという理由が分からないとプリエトも指摘している。カルドエンの弁護士を務めているジョアナ・エスキアは「米国は送還を要請している犯罪容疑はチリでは犯罪として法的に認知されていないので彼を逮捕することは出来ない」と述べている。
(参照:bbc.com

この問題について専門家は「今になって米国が関心を寄せているのは鉱物ジリコニウムを密輸入していたという容疑以外に、カルドエンが長年中東で武器を販売していたという幅広い情報を享受しているということに関心があるようだ」と憶測し、「キューバとベネズエラとも取引をしていたことから、カルドエンがもっているそれに関係した情報を突き止めたいのであろう」と推察している。

カルドエン自身は米国とヨーロッパはチリや開発途上国の兵器生産に干渉して兵器産業を本来支配している国々に対抗しないようにという牽制だと受け止めているそうだ。(参照:interferencia.cl

カルドエンの企業は1990年代半ばには買収した企業を含め11社を傘下に収めるグループに成長した。また彼の郷里でワインの栽培も始めている。ところが、米国に送還されることを警戒してチリからは一歩も外に出ることはないそうだ。

白石 和幸
貿易コンサルタント、国際政治外交研究家