中国共産党の宗教弾圧が激化してきた。キリスト教会の建物をブルドーザーで崩壊させる一方、新疆ウイグル自治区ではイスラム教徒に中国共産党の教え、文化の同化を強要し、それに従わないキリスト信者やイスラム教徒を拘束。「神」とか「イエス」といった宗教用語を学校教科書から追放するなど、弾圧は徹底している(「中国の監視社会と『社会信用スコア」2019年3月10日参考)。
習近平国家主席がなぜこの時に入って宗教弾圧を強化してきたかについて、2点考えられる。①中国全土で国民の間に宗教が覚醒してきたこと、②パンを与える国民経済政策が世界第2の経済大国まで発展し、一応成果を上げたことだ。そこで中国共産党政権は本来の「パンのみの世界」の徹底化に乗り出したきたといえるわけだ。
宗教の台頭についてはこのコラム欄で何度か報じたから、今回は中国共産党政権の目標である「パンのみの世界」について少し考えてみる。ここで「パン」とは、人間の基本的生存に必要なものの総称を意味する。いかなる哲学者、宗教者も自身の生命を維持するためには「パン」が必要となる。断食や禁欲生活をしながら高尚な天上の世界を地上で説いたとしても、地上で飢餓に苦しめられたならば、幸福とは程遠い。
イエスは2000年前、このテーゼを第1の試練として対峙している。そしてその結論は「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」(「マタイによる福音書4章)というのだ。
中国共産党は無神論世界を標榜し、唯物思想を土台とした共産主義思想を政治信条としている。その共産党政府が最初に語ることは全ての人民にパンを与えるということだ。その一方、そのパンをこれまで独占し、人民を苦しめた資本家、支配者、その手先となって国民に宗教というアヘンを与えて、その苦境を忘れさせてきた宗教全般に対し、完全な抹殺を目指す。
習近平中国共産党が共産主義思想の最終目標、宗教の抹殺に乗り出してきたのも決して偶然ではない。表面的には、中国共産党政権はトランプ米政権との貿易戦争を展開させているが、実際は「パンのみに生きる」世界の覇権獲得を目指しているのだ。
中国共産党は旧ソ連型「計画経済」から「国家管理資本主義経済システム」を導入することで短期間で世界的経済大国となってきた。人民にパンを与える一方、共産党一党独裁政治を受け入れよ、と強制する。ここまでは成果があった。
しかし、「人はパンのみに生きる」存在ではない。もう少し厳密にいえば、パンが保証された後には、パン以外の何かを求め出す。欧米社会のデカダンな享楽生活に走るか、宗教を含む精神的な人生の糧を求めるか等、様々な人民を生み出す。それに対し、中国共産党政権は愛国主義を鼓舞しながら、愛国心に宗教の役割を与えてきたのだ(「『宗教の中国化推進5カ年計画』とは」2019年3月22日参考)。
習近平共産党政権は欧米社会の享楽文化を堕落社会と糾弾し、腐敗、汚職に陥った党指導者を粛正する一方、宗教の世界に走る人民を弾圧してきたわけだ。香港では何十万人の若者、国民が中国共産党政権のマリオネット政権、香港特別行政区政府が考え出した「逃亡犯条例」改正案の廃案を叫んでデモ集会をしている。彼らはもはや「我々にパンを」と叫ばない、彼らが求めるのは中国共産党政権の支配から解放された、自由な世界だ。
テレビのニュース番組で香港のデモ集会を観ていると、冷戦時代の1989年、チェコのプラハで反政府運動家たちがゼネストを行い、治安部隊と衝突した日を思い出した。当方は取材のためにデモ集会の中にいた。治安部隊は白いヘルメットと盾を持って立ち、今にもデモ隊を強制的に解散させるために待機していた。「解散」と叫んで治安部隊がデモ隊に向かって走り出した。デモ参加者は叫びながら、逃げ回った。プラハ市民の願いは共産党支配の終焉であり、自由な世界を実現することだった。彼らはもはや「パンのため」に戦ってはいなかった。
中国共産政権が崩壊に追い込まれるためには、パンに代わる何かを、パン以上に重視する人間が生まれてこなければならない。イエスの言葉を借りるならば、「神の口から出る言葉」だ。
問題はその「神の口から出る言葉」が多くの国民の耳に届かなくなってきたことだ。換言すれば、パンに代わるべき神のみ言葉を掲げる宗教世界の堕落だ。共産主義は宗教の偽善性、堕落をたたき、「神は存在しない」とリベラルなメディアを通じて吹聴する。
世界最大のキリスト教宗派、ローマ・カトリック教会の聖職者の未成年者への性的虐待はそのことを端的に物語っている。彼らは神が存在しないことを実証する“悪魔の広告塔”に成り下がっているのだ。
繰返すが、人はパンが必要だが、パンだけでは生きていけない存在だ。共産主義を克服するためには、与えられたパンをどのように公平に分配するかといった経済論争だけではなく、パンよりも何が自分にとって大切かをじっくりと考え、その何かを見出すことではないだろうか。
■
「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年7月9日の記事に一部加筆。