ALS患者の元銀行マンが自らの資産でALS基金を創設

白石 和幸

スペインの金融業界で銀行マンとして活躍したフランシスコ・ルソン(71)は現在筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患っていて、話すことも、身体を動かすことも、匂いをかぐことも何もできない状態にある。しかし、頭脳は明晰で生きるバイタリティーに溢れ、いつも明日も目を覚ますこと望んでいる。

最後に勤務したスペイン最大銀行バンコ・サンタンデールを退職した時には、退職年金として6500万ユーロ(84億5000万円)が付与された。その52%は税金として納めた。外国に住所を構えてスペインの税務署からの税金徴収を逃れるといった姑息な手段は選ばずちゃんと納税義務を果たした。(参照:vozpopuli.com

そして、彼と同じような境遇にあって経済的に余裕のないALSの患者の治療の為の研究開発プロジェクトとして先ず150万ユーロ(1億9500万円)を自ら投じてフランシスコ・ルソン基金を2014年に創設した。その後、2017年にはスペインの3大銀行のひとつラ・カイシャ(La Caixa)銀行が運営している基金と連携して300万ユーロ(3億9000万円)を投じてALSの治療研究プロジェクトを構築した。その始動資金の75%はラ・カイシャ基金から、そして25%をフランシスコ・ルソン基金が負担した。将来的には投資額を9000万ユーロ(117億円)まで増やすことを計画しているそうだ。

2017年の設立当初は毎年50万ユーロ(6500万円)を研究開発のための費用として付与することになっていた。その為に、スペインの病院123施設と接触を保ち、2009年から11万7500人のALS患者を診て来た42の医療チームから挙がって来る案件などを研究プロジェクトとして評価して、その為の資金を提供するというものである。

フランシスコ・ルソンが自らALSの患者として感じているのはスペインの病院同士の接触が少なく、スペイン全体で連携して研究して行くという体制に欠けているという点である。特に、スペインの場合は17ある自治州が行政で独立しているために、スペインの各病院間でのコミュニケーションが不足しているということ。

また、患者を取り巻く看護にも単に治療以外に精神面や栄養面での協力も必要。これらの要素を色々と加えて患者が生きることに価値観を見出すようにするというのが基金の設立の主旨である。(参照:elpais.com

本人を含め、ALS患者の為に自らの資金を投じて基金を創設したフランシスコ・ルソンという人物について触れる必要がある。彼はスペインの中央部のクエンカ州の地さな村で生まれた。彼が5歳の時に両親が職場を求めてバクス地方に移住。バクス大学では成績優秀で奨学金を支給されていた。彼が選んだ職場は銀行だった。

当時のスペインは5大銀行の時代であった。そのひとつビスカヤ銀行に勤務。ビスカヤ銀行とビルバオ銀行が1988年に台頭合併してビルバオ・ビスカヤ銀行として誕生したあと、当時の社会労働党政権は彼を公営スペイン・エクステリオール銀行の頭取に任命した。

ルソンは同銀行の傘下にあった中小銀行6行とエクステリオール銀行をひとつにまとめてアルヘンタリア銀行を設立。その後、ルソンはバンコ・ビルバオ・ビスカヤ銀行にアルヘンタリア銀行を合併させることの推進役となった。それが現在スペインで預金高において第2位の銀行となったバンコ・ビルバオ・ビスカヤ・アルヘンタリア銀行でBBVAの名称で呼ばれている銀行である。(参照:wikipedia.orgvozpopuli.com

ルソンはそのあと、現在スペインの最大銀行バンコ・サンタンデールの副頭取としてラテンアメリカでの営業を伸ばし、2010年には同銀行の収益のおよそ50%はラテンアメリカでの営業から挙げたものというまで業績を伸ばしたのである。当時の頭取はスペインの銀行業界のドンとして君臨したエミリオ・ボティン(ゴルフのセベ・バリェステロスの義父)であった。

2013年に84億5000万円をもらって退職して悠々自適の生活を送ることが約束されて、10か月後にALSに罹っていると診断されたのである。その兆候が表れたのは喉からだったという。

スペイン代表紙『El País』が6月23日付で彼とのインタビューを記事にしている。現在の彼は身体の運動を指令する神経が100%機能しない。よって、筋肉を動かすことができない状態だという。人口呼吸器は勿論必要だ。24時間の看護体制を保つのに3人の看護師が交代で看護しているそうだ。

コミュニケーションはコンピューター・マルチメディアで彼の目でコムニケーションボードの文字を拾って、それがコンピューターで言葉に変化するのである。彼の夫人マリア・ホセ・アギッレともこのシステムでコミュニケーションするわけである。

ルソンがボードの前で目まぐるしく瞳をコンピューターボードを睨みながら動かしているのを見て夫人は「神様でも見てるの、パコ」と冗談をいったそうだ。「パコ」は彼の愛称。それがインタビューの24時間前だった。ルソンはそれをボードに文字で表しているのだった。「冗談を飛ばさねば、意気消沈してしまうこともあるからだ」というのを翌日取材に来たEl Paísのスタッフに夫人が語ったそうだ。その時、パコが望んでいたのはインタビューで写真撮りでハンサムに写るように髪の毛を洗って欲しいということだったそうだ。(参照:elpais.com

ルソンは経済的に恵まれているから24時間プロの看護師が365日アテンドしてくれているということを意識している。それが経済的にできない境遇にあれば文字にして望みを伝えて行くことなどできないといういうことも十分に認識しているという。

今回のインタビューでの質問内容は新聞社から事前に伝えたそうだ。回答はその2日後に届いてたという。ということで、取材班が実際に彼を訪問したのは写真とビデオ撮りのためだった。

彼からの回答の一部を以下に紹介しよう。

病気で失望感にある人の希望とは何かという質問に、「ALSが治る病気になることを私は期待している。この病気に罹って生命の最後の段階にある人たちの尊厳が守られて看護されることを望んでいる。私は失望者ではない」と回答した。

治癒の不可能な病気の患者にお金を持っている価値を尋ねた質問に、「ALSの患者を助けるために私は基金を創設した」と答え、ファイザーが高いコストがかかることを考慮して臨床試験を放棄したことに対し、「それは社会的責任を持たないということだ。特に製薬分野においてはすべての企業がそれを実行するのは不可欠だ」と述べた。

人生に愉しみがあるのかという質問に、「僅かだ。自分が置かれている境遇を享受するだけだ。それがなければ生きてはいないはずだ」と答えた。

健康、病気、(幼少時の)貧困、富を熟知し、(外国との営業から)世界を240回も旅したあと、生命の「刑務所」に置かれている人物にとって人生とは何かという質問に、「人生は愛だ。私は食べることも、匂いを嗅ぐことも、身体を動かすこともできなくなった。でも、愛し夢を見ることが出来る。生命が尽きる最後の1秒まで人生を愛したい」と答えた。

そして「いつも明日も目を覚ましたい。世界が明日終わると分かっていても1本の木を植えたい」と述べた。このような心境を保つことが出来るのも家族愛があるからだというのもルソンは十分に承知している。孫たちも泊りがけで来る。またALSを患っている子供たちも時々彼の自宅に招待している。(参照:elpais.com

スペインでは現在4000人のALS患者がいるそうだ。一日に3人が新たにALSと診断され、3人が亡くなっているという。この病気に罹ってから寿命は3-5年と言われている。10数年生き続ける場合もあるという。ルソンは今年が6年目にあたるという。(参照:elpais.com

彼が自ら資金を出して基金を創設した時に、Zaraのインディテックスのアマンシオ・オルテガ、メキシコの富豪カルロス・スリムそしてバンコ・サンタンデールにも協力を要請したが、誰もそれに応えてくれなかったそうだ。ルソンはインディテックスの役員を務めていた縁からだ。カルロス・スリムも良く知っている間柄だ。ましてやバンコ・サンタンデールではパコは副頭取にもなった人物だ。

パコはそれぞれ企業にはポリシーがあるということで、彼の基金に協力してくれない姿勢に批判は一切していない。しかし、内心はそれを非常に苦痛に感じたそうだ。それも自分の為ではなく、ALSの患者のことを思ってのことだと表明した。(参照:vozpopuli.com

フランシスコ・ルソンはスペインの金融業界の動きが激しくなっていた1980年代後半から2000年代にかけてメディアでも彼の名前は良く取り上げられた。筆者もメディアで彼の名前を良く耳にした。その名声もあって、退職したあとも大学やコンサルタント企業など引く手あまたの活躍ぶりであった。

しかし、それも10か月後に終えなければならなくなったのであった。そして今、また医療分野においてALSの患者、医師、研究グループなどからまた頼りにされる人物となっている。

白石 和幸
貿易コンサルタント、国際政治外交研究家